各政党が相容れない綱領をもっているのは当然のこと

「日米安保破棄は綱領でどうぞ主張し続けてください。私たちも日本の主権が制限されているという認識において御党と認識は一致しています。将来、対等な条約を結び直すべきという点でも一致です。

 でも4年でできることはたかが知れていますから、まずは隣国の韓国で実現した『地位協定の見直し作業を始める』を4年間の協力項目としましょう。それならこの4年間をかけて外務省に未来の交渉のための仲間を増やすこともできます」

 有権者も、支持政党が合意した「4年間の協力項目」に、「変節だ!」などと子ども潔癖主義の反応をする必要はありません。最終目的は異なっても、途中までは同じ目標を共有しているわけですから。選挙の「公約」とは、そういう「途中までの協力項目」のことなのです。

 ここを切り分けないと、我々はこの社会にある各々の組織とパワーを引き出すことができません。議会政治において、野党とは現行政権に成り代わるためにあるわけですから、やるべき仕事は「政権担当者が代わった後にやるべきことを詰める」ことです。

 政党は英語では“political party”と言いますが、要するに「部分」(part)です。政党は「社会的部分利益の集約と表出」機能を担うものです。綱領が決起と志の言葉である以上、各政党が相容れない綱領をもっているのは当然のことです。

 でも、それがただ並立するだけでは社会の多数派の利益をパッケージにできません。だから我々には選挙ごとに共闘で成し遂げる協力項目を確認するための公約が必要なのです。

 私は、二大政党をつくれと言っているわけではありません。「一心同体でなくても協力できる仲間を増やして決め事をする」、すなわち政治をちゃんとするためは、最悪の事態を避けるために、短期間に協力できる舞台づくりをすることが必要です。

 最悪の事態とは、「もう誰を選んでも一緒だ。我々には民主政は無理だ」というシニシズムがもっと広がって、政治がカネと暴力次第で私物化されることです。

 野党は、プライマリーバランスに拘泥して、今を生きる人々(とりわけ若年層)の希望を断ち切って、優秀な人材がどんどん海外に流出するようなガラパゴスをつくって、賃金が上がらない勤労者が冴えない人生の理由を「自己責任ですから」としてうずくまる未来イメージを変えたいなら、綱領ではなく公約を他党と協力してつくるべきです。変えたくないなら「基本政策が異なる」と拒否して、与党を応援すればよいだけです。