(4)緊急特別総会の決議により派遣された国連軍

 国連は、安保理決議だけでなく、緊急特別総会の決議により次のような国連軍を派遣したことがある。

 1956年10月29日、エジプトのガマール・アブドゥル=ナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に衝撃を受けた英国がフランス、イスラエルに働きかけ、共同で出兵し、エジプトに侵攻した。

 イスラエルの侵攻が開始された翌日の10月30日、米国は安全保障理事会の緊急会合開催を要請した。

 10月31日に、緊急特別総会を招集することを決定した安保理決議119を採択した。

 11月2日には緊急特別総会決議997により関係国への停戦とスエズ運河通航の再開を求めた。

 カナダの外務大臣であったレスター・B・ピアソン氏がこの問題の解決に尽力し、国連憲章に規定された強制措置とは異なり関係国の同意を持って展開する国連主導の軍隊の考えを持ち込んだ。

 これは受け入れられ、11月4日から7日にかけての緊急特別総会決議998、1000、1001により、第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF1)が設立されることとなった。

 11月8日には停戦が得られ、11月14日にはエジプトの合意が得られたことから、11月15日よりUNEF1の展開が開始された。

 UNEF1は、

①総会または安保理事会の直接の統制のもとに置かれること

②5大国以外の国家が提供する軍隊等から構成されること(最大人員規模は6000人であった)

③派遣先の同意を要すること

④エジプト領内に駐留し、その地域の平穏を保つことなどをその職務にすること

⑤隊員の給与等については提供国が負担し、その他の一切の経費は国連が通常予算の枠内で賄うこととされた。

 1957年3月に展開されたUNEF1は、監視およびパトロールを通じて休戦協定順守の確保にあたり、中東地域の安定と平穏化に一定の貢献をした。

 エジプト・イスラエルの関係が再び悪化した1967年5月16日にエジプトの要請により、任務を中止し撤退した。その後、1967年6月5日に第3次中東戦争が勃発している。

 現代的な国連平和維持活動を形作ったレスター・B・ピアソン氏は1957年にノーベル平和賞を受賞し「国連平和維持活動の父」と呼ばれる。

(5)筆者コメント

 1人の外交官(レスター・B・ピアソン氏)の献身的な働きにより、国連は、国連憲章に規定されていなかった国連緊急軍を編成・派遣することができた。

 今まさに求められているのは、国際社会の平和のために献身的な働きをする外交官であろう。