おわりに

 パリオリンピックでメダルに輝いた選手たちは死に物狂いの練習に明け暮れていた。

 自衛隊は死に物狂いの訓練をしようにも隊員は不足しており、兵器装備は十分でなく、存分に訓練できる演習場もない。

 いつ非常呼集で呼び出されるかもしれない緊張を休める官舎や隊舎は耐震基準も衛生状況も満たしていないという。

 隊員の個人武器は小銃(ライフル)か拳銃(ピストル)である。練度を維持あるいは向上するためには、実弾射撃で錬成するしかない。

 ところが、練度評価が必要なために「検定」の直前に何発かを試射し、「次から検定」となる。

 要するに、個人個人が撃てる弾数はほんのわずかで練度も向上も眼中になく、とにかく「検定した」と外見だけを整える。

 自分が操作する銃器に自信を持てる隊員がどれほどいるか。そうしたことを問題にすること自体がタブー視されてきた。

 個人の訓練用弾薬の少なさばかりでなく、野戦砲やミサイルなどの少なさなどが、前述した局長の「2、3日しか(敵の阻止に)耐えられない」発言になっっている。

 自衛隊の幹部は何十人、何百人、いや何千人の部下の命を預かって戦う。その結果は国家の存続に関わる。

 金メダルよりも重く尊い「国民の負託」を背負っている。その幹部が自信を持てないで部下を指導し戦えるだろうか。言わずもがなである。

 自衛隊の平常の姿は国民には見えないが、国民の負託に応えるために日々教育・訓練に明け暮れている。

 災害派遣等で国民にも自衛隊が好感を持って迎えられるようになってきたが、それはあるべき姿の自衛隊ではない(参考までに米国では災害派遣は軍隊ではなく州兵の任務である)。

 国際情勢が危機含みになってきた今日、進んで国家の柱石にならんとする若者の精神は至高であり、敬意と厚遇を以って処遇しなければならない。

 自衛隊は新入隊員に自分を守る術を会得させつつ、国家を守る教育と訓練を行なっている。彼らが生き延びてこそ国民の負託に応えることができるからだ。

 自衛隊という集団が日本存亡の危機に際して持てる全能力を発揮できるようにしなければ、自衛隊は何のために存在し続けているか分からない。

 国家が危機を脱出し、隊員が自衛隊を辞した後には、彼らは高邁な意識と在隊間に培った技量をもって、日本の発展に大いに寄与するに違いない。