狩野内膳『南蛮屏風』には、黒人の従者と象使いが描かれている

(歴史家:乃至政彦)

弥助騒動から離れて

 SNSで、織田信長に召し抱えられた黒人の「弥助」が注目を集めている。

 発端は「アサシンクリードシャドウズ」(ユービーアイソフト、2024)という弥助をメインキャラとするゲームだが、詳細はインターネット検索すればいくらでも出てくるので割愛したい。

 弥助の史料について、現在多くの識者が知見を披露しておられるが、まだ終着点は見えない。議論は、弥助が侍だったかどうかに重点が置かれがちである。

 私は当初この問題に白黒つける必要はないと考えていたが、学説の一部が一般の史観と衝突したことで、楽観視できなくなってしまった。

 多方面が互いを敵視している現状を遺憾に思う。このため、「弥助=侍」の是非は7月30日に別のところに公開したので、関心のある方は検索してもらいたい。

 それはさておき、日本の歴史人物でも「この人は宗教家なのか武士なのか」「商人なのか武士なのか」と判断に迷う対象がたくさんいる。迷ってはしまうが、保留にしても大きな問題はない。例えば仮に武士の定義が明確化したとしよう。そこで「従者を伴って重武装で軍陣に赴き、屋敷があり、帯刀して、支配地がある。切腹などの作法を心得ている」からと言って、千利休や安国寺恵瓊は武士であるなどと理屈を並べても納得する必要などない。弥助が侍であるかどうかは、学説ではなく、日本人の感覚で決めていいはずだ。

 それよりも重要なのは、「弥助をはじめとして日本に黒人奴隷が一般化した」「弥助は大黒天のように崇敬された」などといった海外で広まっている珍説を否定することであって、新たな問題を作り出し、主導権の握り合いをすることではない。

 私は無学不才の身であるので、この議論に参加するつもりはなく、頭のいい皆さんに任せたいと思う。とはいえせっかくの機会なので、息抜きまでに、弥助に関して、誰にでも当たれる史料を使って、あまり役に立ちそうにない独自の見解を提示してみたい。