ジャンヌ・ダルク生家 写真/神島真生

 神の啓示を聞いた預言者でありながら、軍事指導者として戦いの前線にも立ち、若くしてその生涯を閉じたジャンヌ・ダルク。

 波乱の人生を送ったフランスの英雄の実像に、著書『戦国大変』が話題の歴史家・乃至政彦が日本史を介して迫る「ジャンヌ・ダルク聖者の行進」。

 WEBメディア「シンクロナス」で配信する連載(「歴史ノ部屋」内)の中から注目度の高かった「ジャンヌダルクと平将門」をお届けする。

(文・乃至政彦)

フランスとイギリスの戦い

 将門に神の声を伝えた巫女(昌伎)と、ジャンヌ・ダルクは同種の存在である。

 これはつまり、どういうことか?

 まず簡単に当時のフランスの情勢を見てみよう。

 その国土は約半分ほどをイギリス軍の侵攻に奪われ、滅亡の危機に瀕していた。いまはオルレアンという城塞都市が包囲され、ここが陥落すれば、イギリス軍の優位は決定的になってしまう。

 そうなったらイギリス軍は無人の野をいくがごとく、国土を蹂躙するに違いない。民衆も戦争被害に長く苦しめられ、疲れ果てていた。フランス内部でも、王家に向かってイギリス側と和睦して十字軍を復活させ、トルコを攻める方が建設的ではないかと提案する預言者が何人も現れていた。

 どうあれこの状況を打開したいという想いは、民衆の一致するところであった。一介の村娘であるジャネット──のちのジャンヌ(当時は「自分は故郷ではジャネットと呼ばれていた」という)──も平和を願っていたに違いない。だが、救世主はどこにもいなかった。

 ある時、不思議な声がジャンヌの耳に聴こえはじめる。「神の声」であった。神の声は「お前はオルレアンの包囲を解除するであろう」と告げて、ジャンヌに覚悟を迫ったのだ。こうしてジャンヌは本来ならフランスの王となるべき王太子シャルルに、決起してもらおうと動き始めたのである。

 なお、今のフランス国王は、イギリス国王が兼任していた。この状況を事実として受け入れ難い人々は、この兼任を僭称だったことにするべく、王太子シャルルにフランス王となることを期待していた。

 それには、まずイギリス軍が包囲中するオルレアンを救出することこそ急務である。オルレアン解放には軍事力を行使するほかなく、それができるのは王太子シャルルだけだった。フランスの人士と資金をどこでいつ使うのか、これを決断することができる人物は、他にいなかったからである。