(歴史家:乃至政彦)
上杉謙信と織田信長、ふたりの伝記を交える
令和5年(2023)5月15日配本予定の『謙信×信長 手取川合戦の真実』では、上杉謙信と織田信長それぞれの人生を伝記形式に著述して、それが最後に手取川で交わる形で描いている。
この記事ではこのふたりについて、少しだけ説明したい。
同志だった謙信と信長
濃尾の織田信長は、とても野心的な人物と見られているが、父・織田信秀がそうであるように、もともと一介の武人という意識が強く、はじめのうち為政者とは自認していなかったようだ。
尾張時代の信長はかつて尾張守護の斯波義銀を追放したが、これもやりたくてやったわけではない。
戦国時代は、下克上の時代といわれるように、家臣が主君を裏切ったことがよく知られていいる。
だが、実は主君も家臣を裏切ることがあった。
信長より今川義元が怖いからと裏切った家臣がいたように、主君が有力な部下を裏切ることもあり、そうなったら信長も汚名を甘受してでも対応しなければならなかった。
結果として将軍や主君を追放した信長だが、人並み以上の忠義の心(それがなければ、足利義昭を救うため命懸けで本圀寺の変や姉川合戦を戦ったりしない)があったことを認めなければならない。
上杉謙信は、前将軍・足利義輝の弟である足利義昭が上洛して新将軍となるのを、そんな信長が支えることを遠国より応援していた。信長は甲斐の武田信玄とも敵対関係に入り、信玄嫌いの謙信は信長と軍事同盟を結んで、同志的関係を深めた。
ところが、この関係もやがて崩れ始めていく。