春日山城の上杉謙信像 写真/アフロ

(歴史家:乃至政彦)

●『謙信×信長 手取川合戦の真実』発売(1)
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手取川合戦のあと

 天正5年(1577)9月23日夜間に加賀で戦われた手取川合戦の翌年3月13日、上杉謙信は越後春日山城で、突然の腹痛を伴う内臓疾患に見舞われて急死する。享年49。

 ところでもし謙信が、あと少しだけ健康に生きながらえていたら、どうしていたであろうか?

 これは謙信ファンのみならず、誰もが想像するIFであろう。

 一次史料によると、謙信は、天正6年(1578)正月に越後衆・関東衆、ならびに加賀・能登・越中衆に対して大掛かりな「陣触」を発していた。

 大掛かりな遠征の準備である。

 日本無双の采配を誇る謙信が、天下一を謳われる軍士を率いる。これだけでも脅威であったのに、手取川に勝利した上杉軍は、かつてない圧倒的な動員力を得ていた。

 越後国内外の大軍が謙信の号令を待つ。

 では、その矛先はどこか?