フィギュア男子8位に終わった米イリア・マリニン(写真:ロイター/アフロ)
ミラノ・コルティナオリンピックが閉幕しました。勝負の世界には、栄冠を得る者、得られない者、勝者と敗者という絶対的な結果が生まれます。勝敗といえば、先の衆院総選挙でも、両者の明暗がはっきりと分かれました。今回注目したいのは、敗戦の弁です。オリンピック選手たちの言葉に比べ、政治家たちの言葉は、同じ敗者であっても大きく印象が異なるように感じました。
(増沢 隆太:東北大学特任教授、人事・経営コンサルタント)
“すべては自分の責任”、そのストイックな姿
オリンピックでは、実力世界一とか絶対王者と呼ばれるようなトップの中のトップアスリートでさえ、まさかの敗退という大番狂わせが起こります。今回のオリンピックでもそうでした。勝負には時の運が左右するのは間違いありませんし、「(結果は)下駄を履くまでわからない」ものでもあると思います。
期待を背負いつつも結果が出せなかった選手の敗戦の弁には感動的なものが少なくありません。どんな理由があろうと、すべては自分の責任であるとストイックに述べる姿には、見ているだけのこちらの方が、まるで身内になったかのような共感と励ましを送りたくなるほどです。
一方、時を同じくして日本では衆議院選挙がありました。2月の衆院選は、与党自民党の大勝利と、自民党に対抗すべく直前に結党された中道改革連合の大惨敗という結果に終わりました。選挙もスポーツ同様に勝敗が明確に分かれる勝負の一つですが、責任を取って代表を辞任した野田佳彦氏が語った敗戦の弁は、感動すら覚えるアスリートたちのそれとは異なって響くように思います。
