憲法の保障する「落選運動」権

 再び、郷原弁護士の展開する明快、明晰な「落選運動」に話題を戻しましょう。

 これが、憲法の認める国民の権利であることを、最後に整理しておきます。

 万人が持つ「落選運動」の自由。これは閉塞し切った日本の選挙を変える、一つ分岐点になる大事な分かれ道かもしれないと思っています。

 きっかけは平成25(2013)年に実施された「ネット選挙」の解禁にあります。

 有権者が、例えば**党員の個人が、自分の応援する候補を当選させるよう、スパムメールなどを送ることなどは禁止されています。

 しかし、政党が公開のホームページなどを使って選挙活動を行うことは認められています。

 ただしこの際、「電子メールアドレス等」責任の主体と連絡が取れるネットワーク上のコンタクト先を明記することが、義務付けられています。

 これは選挙活動として、特定の候補を応援する際にも認められると同時に、特定の候補の落選を訴える内容についても同様に認められ得る――ことに、些細な条文の細部からですが、元検事で明晰の極みにあるような郷原弁護士は気が付いた。

 実際、このような権利は明らかに認められる必要があります。

 何となれば、日本国憲法21条に

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 と明記されているわけですから。

 名誉棄損その他法令に反しない限り、主権者国民が特定候補が公職の地位に就くことに疑念や反対の意見表明を禁じることはできないからです。

 ただし、特定の候補を応援するために、別の候補のネガティヴ・キャンペーンを行うことは、公職選挙法に定める「選挙妨害」に相当しますので、厳密に禁止されています。

 今回の、世も末のような「都知事候補」陣。あの末期的なポスター看板を大学の正門前で目にしたとき、私の脳裏にすぐ浮かんだのは、故・水木しげる氏描くところの「妖怪・百鬼夜行図」でした。

 別段、どの候補が砂かけ婆だとか、子泣き爺だとか、そういうことではありません。魑魅魍魎の群としか、目に映らなかったという話です。

 率直に、いま名の上がるどの候補も、およそ応援したい気持ちになりません。

 実際には、最悪の選択を避けるべく、次善の候補を選んで票を無駄にはしないつもりです。でも率直に言って「苦肉の策」というところです。

 私個人、与党側にも野党側にも、この人が都知事選に出るなら大いに応援したい、という人は存在します。しかし、そういう人たちは今回は関わり合いにならないでおこうという判断を下してしまったようです。

「特定候補を応援しない」という意見を表明すれば、法と条例の認める範囲で、どの候補に対してどのような「落選の勧め」を行っても構わない。

 この新しい「ネット選挙以降」の可能性を推し進められる郷原伸郎弁護士や黒木亮氏、あるいは都庁OBの澤章さんなど、筋道のきちんと通った背筋の伸びた大人の清新な決意に、私は希望を見出す思いを持ちます。

 民主政治のルールとシステムに律儀な正義派の活躍に、未来への期待をつなぎたい。

 とりわけ「若い有権者」諸君と教室で時間を共にする一大学教官として、誰を応援するとかしないといった「党派性」ではない、物事の理非を客観判断する大切さを伝えたいと思うのです。