なぜ欧州はできて日本ではできないのか? 

 PSOで必要となる「定められた時刻表」は行政が経済的・社会的な必要性を勘案して大枠を定める。つまり鉄道会社やバス会社が自社の商売のための「商品」としてダイヤを決めるのではなく、あくまで行政が、世の中の経済活動や社会活動がしっかり回るようにダイヤの大枠を決めるのである。 

 子ども達が学校へ通学できるように、通勤先に公共交通で通えるように、また余暇活動のために人々が町に出てくることができるように、といったように、車がなくても暮らしやすい社会を作るには公共交通に一定程度のサービス水準が必要であり、これを行政が主導して決めるのである。 

 さらに近年では、地球温暖化対策の目標として2050年までに二酸化炭素排出を実質ゼロにすることをEUも日本も国際公約としているが、その実現のためには自動車よりも二酸化炭素排出が格段に少ない公共交通利用へと行動変容を促す施策も必要である。 

 無理のない行動変容を促すには自動車に近い利便性が公共交通でも必要だが、3時間に1本しか走らない列車ではダメであり、最低でも1時間おきとか30分おきとか、決まった一定間隔で列車やバスが走っていないことには、行動変容を促すことなど不可能である。 

 行政がダイヤの枠組みを考える際には、経済・社会面だけではなく、環境政策の観点も盛り込むことが近年では推奨されている。 

 PSOに関連する制度の枠組みはEU加盟国共通で規則1370/2007により定められているが、その第5の前文に興味深いことが書いてある。 

 筆者なりに翻訳すると「こんにちでは、一般の経済活動に必要とされる陸上の旅客輸送サービスの多くは、商業ベースで運営することができない。 加盟国の行政当局は、それに必要なサービスが確実に提供されるように行動できなければならない(後略)」とある。 

 前文とはその法律の背景を記す重要な部分であり、この規則は2007年に成立したものであるが、欧州は15年以上も前の立法の段階でこのように公共交通が黒字にならないことを認識し、行政が必要な手当てをすることを求めているのである。 

 なお2007年の規則は1969年の規則を全面改正したものであり、同じ考え方は1960年代末にはEU(当時は前身となるEEC)ですでに表れている。 

 このように「赤字ローカル線や赤字のバスは廃止するのが基本だが、仕方ないのでお情けで税金を投じて支える」という考え方が常識の日本と欧州との間には、公共交通に対する考え方や制度、それに財源にかなり大きな差がある。 

 その一方で、本稿の冒頭で述べたように、オーストリアなど欧州諸国では高い水準の公共交通サービスが廉価に提供されていることは確かであるし、それを体感して「日本ではなぜ実現できないのか」と筆者に問うてくる日本人も多い。 

 公共交通を取り巻く制度は複雑で、しかも技術的、制度的、財政的な面など様々な側面が関連する。本連載では、毎回それぞれ異なる側面から、オーストリア流、時には国境の枠を超えて欧州流の公共交通に対する考え方を紐解いていく。 

 日本と欧州には文化的背景などの異なる点も多いが、歴史の長い街並みもあれば戦後の郊外開発による都市も抱えていて、歴史上の早い時期に工業化を達成した先進国として充実した鉄道網を整備してきたことなど、共通点も多い。 

 単なる「黒字」「赤字」という収支だけの価値判断を超えて、公共交通機関が社会の中でどう活かされていくべきなのか、どのような役割を担うべきなのか。またそのためにはどんな財源を手当てし、どんな投資が必要なのか。 

 そういった議論の道しるべとなることを期待したい。