カルト的な人気を誇る「ガロ」はなぜ生まれた?

中川:貸本マンガの出版社だった青林堂が創刊した雑誌が「ガロ」です。この雑誌が創刊された最初の目的は、白土先生に長編マンガを掲載する場を用意することでした。白土三平は貸本マンガで有名になり、『忍者武芸帳 影丸伝』などが大ヒットしました。

 やがて、貸本マンガというジャンル自体が衰退していきますが、白土先生は人気があったので「週刊少年マガジン」などでもマンガを描いていました。

 ところが、貸本マンガ時代は制約なく自由に描けたものが、講談社や小学館といった大手出版社で描くようになると、「残酷な場面は描いちゃダメ」「『死神』などというキャラクターの名前はダメ」といろいろコードが出てくる。

 それで、フラストレーションを溜めた白土先生は、自由を求め、描きたいように描ける雑誌を創刊しようと考えたのです。そこで、長井勝一という盟友の編集者に青林堂を立ち上げてもらい、そこから「ガロ」を出版しました。

 青林堂立ち上げの軍事資金は白土先生が用意しました。光文社の少年雑誌「少年」に連載していた『サスケ』という人気マンガを、青林堂から単行本にして出したのです。この売り上げを軍資金にしました。

「ガロ」には『カムイ伝』という伝説的な劇画が掲載されましたが、白土先生はこの作品をノーギャラで描きました。

 このように、「ガロ」は商業誌の形態を取りつつも、半ば個人誌のようなところがありました。200ページ中、100ページが『カムイ伝』といった型破りな構成でしたし。

 興味深いのは、この『カムイ伝』の単行本は小学館から出ていて、その印税でプロダクションを維持していたというところです。

中川氏が大切にしている『ガロ』の現物中川氏が大切にしている『ガロ』の現物

──大手出版社のコードが嫌で、わざわざ「ガロ」を創刊したのに、そこに載せていた『カムイ伝』の単行本は大手出版社から出したのですか?

中川:小学館としては、自分の少年誌の連載では好ましくない描写があっても、できあがった作品を単行本として出すのは問題ないという判断だったようです。『カムイ伝』は単行本で全21巻という大長編になり、しかも未完で終わる……というすごい作品です。単行本がヒットしたので、白土先生も小学館も結局は儲かったようです。

──「COM」は「ガロ」のライバルという位置づけですか?