「劇画」という言葉が使われなくなった背景

中川:「劇画」というコンセプトを最初に考えたとされるのが、大阪で貸本マンガ家として活躍した辰巳ヨシヒロさんです。『ゴルゴ13』などで知られるさいとう・たかを先生も劇画のムーブメントに参加して、やがて中心的な存在になりました。

 劇画は、見た目はマンガと同じですが、いくつかの面でそれまでのマンガとは違いました。

 60年代になる頃まで、マンガは主に小中学生のような、子どもの読み物だと理解されていました。「中学を卒業してもマンガを読んでいるやつは子どもっぽい」と言われるような時代です。

 これに対して「マンガが子どもっぽいからバカにされる」「ハイティーンが読んでも面白いものを描けば、ハイティーンだってマンガを読むはずだ」という思想で描かれたのが劇画です。

 それ以前の少年マンガでは、悪者は世界征服を企むような非現実的な悪の組織や、ギャング団、秘宝を狙う怪盗でしたが、劇画では貧困が生み出す犯罪や、恋愛のもつれから生じる殺人など、より社会性を持ったリアルなものとして描かれました。

 また、ほのめかし程度の描かれ方にせよ、それ以前は触れられることのなかったエロの要素も入ってくるようになりました。つまり、大人っぽい描写やテーマを含むマンガが劇画なのです。

 成人指定作品などという堅苦しいものではなく、誰でも読めるマンガなのだけれど、メインターゲットの年齢層を上げたのです。

 絵的にもマンガと劇画では異なります。それまでのマンガの絵は、どこか丸っこい描かれ方でしたが、劇画では背景もかなり緻密に描かれ、人物にも陰影を持たせるなど、より写実的になりました。その結果、それまでのマンガと比較して全体が黒っぽくなりました。

 ところが、次第にそうした劇画風の描き方がむしろ一般的になり、あえて「劇画」と呼ばないようになっていった。いわば、マンガ全体が劇画化していったのです。

──「ガロ」(1964-2002年)と「COM」(1967-1973年)という2種類のマンガ雑誌についても詳しく解説されています。