60年代に登場した「劇画」とは

中川:僕も小学生の頃にファンレターを書いて送ったことがあるんですよ。そうしたら、「読んでくれてありがとう」と肉筆で返事が返ってきました。マンガの神様なのに、「来月こんな新作が出るのでよろしく」なんて営業の文句まで書いてあって(笑)。すごくまめな人だと感じました。

 多忙だったとは思いますが、ファンレターを書くのが、息抜きだったのかもしれません。

 加えて、手塚先生のすごいところは、他の作家の描いたマンガをよく読んでいたということです。有名な作家はもとより、貸本屋に置いてあるような、それほど有名ではない作品にまで目を通していました。時には「こんな新人がいる」と取り上げて語ることもありました。

 同業者に対するライバル心も強く、人気のマンガ家が出てくると、「どうしてこんなものが人気なのだ」と批判的に語ることもありました。これは半ば嫉妬心であり、半ば「負けるものか」という対抗心でもあったのでしょう。実際、最後までマンガ界の最前線で活躍し続けたとんでもない人です。

──小学館がものすごい金額を提示して手塚さんに専属契約を提案した、というエピソードも本書の中で紹介されています。

中川:小学館が「週刊少年サンデー」を創刊するタイミングのことです。「週刊少年サンデー」は少年誌としては初めての週刊誌だったので、目玉として手塚先生をどうしても起用したかったんです。

 ただ、週刊誌となると月4回も出るから、仕事量は月刊誌4本分になる。「それは時間的に無理です」と手塚先生も断るのですが、小学館は「他の連載をやめてくれ」「その分全部払いますから」と相当な金額を提示して交渉しました。この専属契約は結局成立しませんでしたが、「週刊少年サンデー」では創刊号から連載しています。

──それまでのマンガとは異なる「劇画」の誕生についても解説されています。劇画とは何でしょうか?

中川:この質問をいただくのは少し意外ですね。僕が子どもの頃は「劇画」という言い方は普通に使われていましたから。

「劇画」は60年代に出てきた新しいマンガのスタイルで、80年代には「劇画」という呼び方は使われなくなっていきました。

 最初に話した、第二次マンガ革命の代表が「劇画」であり、青年コミックスです。この2つは、呼び方が違うだけで結局は同じものです。