ピーク時には3万ほどの貸本屋が存在

中川:貸本屋は江戸や明治からあったと言われます。当時、書籍は一般的に高価で、多くの人は購入することができませんでした。そこで、たとえば200円の本を、1日10円などで貸し出していたのが貸本屋です。

 こうしたビジネスモデルは現在ではなくなりましたが、昔は貸本屋のほうが購入用の本を販売している書店よりも多かったのです。ピーク時には、全国に3万ほどの貸本屋がありました。

 出版社が作った新刊本は、「取次(とりつぎ)」と呼ばれる問屋を通して書店に並びます。ただ、取次を経由した流通の場合、売れない本はしばらく経つと返本されるので、体力のない中小零細の出版社は厳しい。

 それに対して、貸本屋はシステムが異なり、本を買い取るので返本がありませんでした。たとえ人気がなく、一度も借りられなかった本だとしても、貸本屋は書籍を購入しているため返本できない。これは、中小零細の出版社からすると、とてもありがたい仕組みでした。

 そのため、取次経由で書店には卸さず、貸本屋に売るためだけに本を作る出版社も当時はたくさん存在しました。そういった本の中には貸本専門のマンガもあり、それが「貸本マンガ」と呼ばれるものです。

 テレビもなかった娯楽が少ない時代、貸本屋の主な利用者は、小中学生や中卒で働いている10代の若者でした。ところが、1960年代になると、やがて貸本屋はどんどん廃れていきました。日本人が豊かになり、誰でも本を買えるようになったためです。

中川氏の私物の貸本マンガ中川氏の私物の貸本マンガ

 貸本というと安っぽいイメージかもしれませんが、装丁は立派で、最初のほうにはカラーのページもありました。貸本は何十人もの人が借りるので、今の新書判コミックスよりも、作りがしっかりしていました。

 残念なことに、当時、流通したほとんどの貸本は残っていません。貸本ですから、多くの場合、最後まで誰の所有物にもならないのです。貸本屋も商売ですから、売れなくなった本は処分しました。