暮れも押し迫った12月18日夜、中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』のインターネット版が、ほとんど目立たない形で、一本の「社会部ネタ」の記事を配信した。タイトルは、「犯罪者・労栄枝の死刑を執行」。だが、私は思わず目を留め、感慨深くその記事を貪り読んだ――。
労栄枝(ろう・えいし)という名を聞いても、いまの中国の若者たちもピンと来ないに違いない。だが年配の中国人、それに私のような1990年代の一時期を中国で過ごした人間にとっては、「ずしりと重たい記憶にある名前」だ。当時、「魔女」だの「鬼女」だの言われ、中国を震撼させたからだ。
まさに才色兼備、特例で15歳で師範学校へ
彼女は1974年、中国中部の江西省九江市に、5人きょうだいの末っ子として生まれた。少女時代から学業に秀で、ピアノや絵画でも抜群の才能を発揮した。おまけに美人で聡明。その才色兼備ぶりが地元で評判となり、1989年に15歳で、特例として九江師範学校への入学を許された。
同校を3年後に卒業し、18歳で九江石油分公司の人民教師になった。地元最大の国有企業の付属小学校教諭である。
1995年、21歳の時のある日、彼女は、地元のホテルで行われた友人の結婚式に出席した。そこで、やはり出席者の一人だった、これまでの人生で出会ったこともないタイプの男に一目惚れしてしまう。
その野性的な青年・法子英は、月給300元(約6000円)の小学校教諭では考えられない7000元(約14万円)もする大型バイクに乗って、結婚式場に現れた。すでに前科何犯か重ねていたが、地元のチンピラ仲間からは「法老七」と呼ばれ、一目置かれる存在だった。