次の図は清水トンネル・新清水トンネルの高さと長さを示す縦方向の断面だ。土合駅の下りホームだけが、地中深くにある理由が納得いただけただろうか。
上の図ではややわかりにくいのだが、湯檜曽(ゆびそ)駅も下りホームだけ「トンネル駅」だ。
上越線で水上から土樽に向かうと、湯檜曽の直前で、上りと下りが分かれる。上りは湯檜曽上りホームを経てループ線に入る(列車は逆に走る)。下りは新清水トンネルに入った直後に湯檜曽下りホームがある。つまり、下りホームは新清水トンネルの坑口(トンネルの出入口)のすぐ内側にある。
土合と同じトンネル駅なのに、湯檜曽はほとんど知られていない。というのも、土合のように「地中深く」にあるのではなく、下りホームに行くまでに階段が0段であることだ(上りホームにつながる連絡通路からの段数。地上から連絡通路までは12段の上り)。これでは話題にならなくても仕方ない。
稀有な構造をもつ土合駅の誕生は、新潟と群馬の県境に立ちはだかる谷川連峰に鉄道を通す苦闘の歴史から生み出されたものだった。それは、トンネル掘削という日本の土木技術の進歩と、鉄道輸送の変遷を物語るものでもあるのだ。
ちなみに、清水トンネル、新清水トンネルのあと、上越新幹線用の「大清水トンネル」が1982年(昭和57年)に開通。旅客輸送の主役は新幹線に移ったものの、ローカル鉄道の駅、および貨物輸送の経路として土合はいまでもその役目を果たしている。
山岳トンネルの中、地中深くに作られたそのほかの「トンネル駅」については、こちらの記事で紹介している。
なぜ駅をわざわざそこに作った?数少ない「トンネル駅」が地中深くに誕生したふしぎな理由