「お手上げ」状態からの「奇策」
異次元緩和の本当の姿が見えたのは、その2カ月後、2013年4月4日のことです。共同声明の発表後、任期満了を待たずして辞任した白川方明・前総裁に変わって、安倍首相の強い推しで黒田東彦氏が新総裁に就任したばかりでした。その「黒田日銀」にとって最初の金融政策決定会合で、これまでにない大胆な超金融緩和策が決定します。記者会見で黒田相談は「2」を赤い文字で強調したパネルを用意し、大胆さをアピールしました。
① 物価安定の目標は「2%」
② 達成期間は「2年」を念頭にできるだけ早期に
③ マネタリーベースは2年間で「2倍」に
④ 国債保有額・平均残存期間は2年間で「2倍以上」に
黒田総裁は「市場に流すお金の量を2倍にし、2年程度で物価上昇率2%を確保する」と期限を区切って宣言したのです。期限を明示しての金融政策も極めて異例のことでした。のちに明らかになったこのときの金融政策決定会合では9人の政策委員(総裁、副総裁2人、経済学者などの審議委員6人)のうち、数人が疑義を表明したこともわかっています。一方、市場はこの決定に驚きを隠せず、本格的なデフレ脱却ヘの道筋が見えたと好感しました。株高・円安トレンドも本格的に始まります。
ところが、目標の2年を経過しても物価上昇率は0%近くをウロウロするだけで目標の2%ははるか彼方でした。人々の暮らし向きに大きな改善は見られません。金融機関からの国債買い取りなどで市中に当初は年間約50兆円、2014年にはその額を80兆円に増やして資金を流してきたのに、原油価格の低迷などが響いて消費者物価は上がらないのです。日銀の国債購入額は2015年末で発行額全体の3分の1に達していました。
もう有効策はないのか、黒田日銀もお手上げか。そんな観測が流れ、政府からも対応を求められていた日銀は2016年1月の金融政策決定会合で、“奇策”と言われたマイナス金利の導入を決定したのです。その時点でECB(欧州中央銀行)やスイス、スウェーデン、デンマークなどの中央銀行が導入していたとはいえ、日本では未経験。各メディアも「苦肉の策」「奇策」といったトーンで報道します。先行き多難を予想させる船出でした。