小泉内閣で抜群の存在感

 田中眞紀子が外務大臣だった頃といえば小泉政権発足当初の時代だが、このころ、国民はテレビから連日流れる政治ニュースに見入っていた記憶がある。

小泉政権で外相に指名され官邸へ入る眞紀子氏。まさに絶好調だった小泉政権で外相に指名され官邸へ入る眞紀子氏。まさに絶好調だった(写真:橋本 昇)
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「劇場型」と言われた小泉政治はマスコミの格好のネタだった。それについてはその後マスコミ各社も反省したとのことだが、国民の関心は政治の内容云々にもまして登場人物のキャラクターに集まった。週刊誌でもテレビでも飲み屋でも政治談議に花が咲いていた。2001年の当時、国民は確かに今よりずっと元気だった。少なくとも政治の話をするだけの余裕があった。

 また、小泉政権の功罪は別にして、あの時代からしばらくは政治家にもそれぞれの顔があったと思う。

 その後の紆余曲折を経ていつの間にか国民の関心は政治から離れ、政治家の顔もぼやけてしまった。

 さて、田中眞紀子は顔の見える政治家の筆頭だった。数々の行動や発言には問題も多く、外務省の役人との軋轢のあげくに任期途中で外務大臣を更迭されるという不名誉もあったが、世論は田中眞紀子を支持した。公の場で他の政治家を小気味よく話のネタにし、こき下ろしたが、国民は案外納得していたのではないだろうか。

小泉首相より外相を更迭された眞紀子氏。眞紀子氏は言う。「私なりに頑張ったですけどねぇ…」(写真:橋本 昇)
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 その後もその年には秘書給与流用疑惑の責任を取って議員を辞職、翌年には自民党を離党、と猫の目のように目まぐるしく変わるが眞紀子人気は衰えず。離党後の2003年の総選挙では無所属で立候補して当選した。