その顔は思ったよりも元気そうに見えたが、やはり往年の迫力は削げ落ち、田中角栄といえば思い出す陽に焼けて脂ぎった顔はすっかり白くなっていた。そして、娘の眞紀子さんが傍らで献身的に父親を支えていたのが印象的だった。
目白の軍鶏
田中角栄は気の強い娘を「目白の軍鶏(シャモ)」と形容していたというが、その軍鶏と言われた娘は病に倒れた父の手足となった。そして、父を裏切った面々を決して許さなかったという。見舞いに訪れた竹下登を門前払いしたという逸話は有名だ。
その後、娘の眞紀子さんは1993年に父の選挙区から立候補してトップ当選し「衆議院議員・田中眞紀子」となる。以来当選6回、科学技術庁長官、外務大臣、文部科学大臣を務めた。田中角栄は並外れた政治家だったが、そのDNAを受け継いだ田中眞紀子もその歯に衣を着せない言動で一躍マスコミの寵児となった。
とにかく田中眞紀子の話も父親同様に面白かった。国民もやんやの喝采で政治に対するモヤモヤを解消していたように思う。


