強者が弱者をいじめる暴力は「笑い」か?

 さて、10代の松本人志たちが横山やすし師匠に「あんたら2人は悪質な笑いや」と言ったのは、どんなものだったか?

 文字面だけ見ると「立場が弱い子供」が「お父さんお母さん」などの「親」に逆襲するという「日常価値の転換」のようにも見えるプロットではあります。

 ところが実際に扱っているのは、体力に勝るティーンの子供たちが、40代、50代のお父さんやお母さんに奮う、新聞で扱われていた「家庭内暴力」社会問題そのものの構図です。

 それが日常なのだから、ちっとも価値など転倒しない。

 松本人志は、お父さんの藁人形の鼻に釘を打ち付けて苦しめるといった内容を語り、観客席からは、声の高い「幼い笑い」が返ってくる。

 大人は反応しない。単にイヤな顔をして黙っていたはずで、それを「ちっともウケん客やな~」程度にしか松本人志の了見では、受け止められなかったらしい。

 実際、録画でもスタジオの客席は全然沸かない。

 当時17歳だった私がテレビで見ていても「やだな」と思う程度に「家庭内暴力ポルノ」、最悪な画面でした。

 むしろ「親なんかつけあがらせとったらあかんで」などと息巻いているアホなティーンを地でいく松本人志、浜田雅功を、体力では劣るだろうオッサンの「横山やすし」がこき下ろし、『ザ・テレビ演芸』という番組の全体として、まことに爽やかな話芸を等身大で成立させ、エンドマークとなった。

 横山やすしの横綱相撲で、これをもって「番組の司会進行」の鑑というべきでしょう。

 しかし、1980~90年代のテレビは「強いものが弱いものをいじめる」式の「芸」が市民権を得ていた面がありました。

 典型的なのは「熱湯コマーシャル」など、本当に体に熱さや痛みを感じる局面に、いつも「やられ役」が定番化した。

「いじられキャラ」「リアクション芸人」などと呼ばれるタレントが登場、定着していきます。

 具体名を挙げるなら「だちょう倶楽部」の故・上島竜平(1961-2022)、出川哲朗(1964-)といった人々がお茶の間に定着するのと前後して「弱い者がひどい目に遭う」シーンが画面でありふれていったように思います。

 しかし「捨丸・春代」の舞台ですら、いちど刺激に慣れてしまうと、同じものでは満足しなくなるのが人間というもの。

「芸」というものは、時間を追うごとに刺激の強度を強くしないとウケない、エスカレートの宿命を負っています。