1990年代以降の「お笑い」は、芸よりビジネスモデルが優先されるようになっていった

 前回稿は、私としては20世紀テレビ人の昔話、昭和の伝説、お正月ヒマネタのつもりで書いたつもりです。

 ところが、意に反してトップビューの反響に驚いています。

 報道されている「松本人志」の「疑惑」について、特段新しい情報を持っているわけではありません。

 ただ、非常にはっきりしていることは、「松本人志」を叩いているコンテンツでも、どういうわけか「松本が笑いの天才であることは万人が認める」的な記述が、その多くに見られるという点です。

 ここは私の論点とはかなり違っています。松本人志は本当に「笑いの天才」でしょうか?

 例えば、桂枝雀師匠、本名:前田達(1939-99 享年59)のような人は、名人の器であり、最後は笑いのために心身を削って自ら命を絶つに至りました。

 あのような本物の芸人が「天才」と呼ばれるのと等しい芸の才能があると、誰が考えるか?

 悪い冗談もいい加減にしてほしい、という本音をもつ関係者は、決して少なくないように思います。

 今回も1990年代に一部テレビ業界の舞台裏で語られた裏話を記したいと思います。

 先に結論を記すなら、「天才・松本人志」という商標が作られ、売られ、財貨を生んだ可能性を、そのブランドが立てられた初期に遡って、解説してみたいと思います。

作られた「天才像」が必要だったわけ

 私は東京芸術大学などで音楽家の指導に当たる際、決して「才能」という言葉を使いません。特に「天才」など、もってのほかです。

 なぜ?

「あの人は天才」と言ったら、そこで話は終わってしまい、指導もへったくれもなくなってしまうからです。

 また「あなたは才能ないから」と言われたら、それで終わりでしょう?

 天才という言葉は、相手に二の句を継がせず、議論を断ち切り、一定の商談を進めるための悪質な商売道具でしかありません。

 真摯なレッスン室では邪魔にしかならない。