東日本震災釜石港に津波で打ち上げられた大型貨物船東日本大震災時の津波により釜石港に打ち上げられた大型貨物船(筆者撮影)

やはり出始めた被災地での窃盗・悪徳商法の被害

 1月1日16時06分、能登半島を震源とする最大震度7の地震が発生し、大きな被害が発生した。揺れや津波によって倒壊した建物も多く、火災も起きた。いまだ安否不明の方も多く、また被害した人々も過酷な環境での避難生活を余儀なくされている。

 そうした中、恐れている事態が起き始めた。窃盗などを中心とした、被災地での犯罪の急増である。

 こうした卑劣な犯罪を防ぐためにはどのような対処法が効果があるのか。

 その教訓として東日本大震災時の事例を考えてみたい。

 東京在住の私は、2011年3月11日に発生した東日本大震災翌日から約4カ月にわたって被災地に入って取材を進めた。だがそこで目の当たりにした事実は、当時はあまりにも生々しすぎて、全てを記事にすることはできなかった。あれから13年近くも経った。いまなら読者も冷静に事実を受け止められると思うので、私が見た実態を明らかにしてみたい。

 3月12日の昼過ぎ、それまで通行が禁止されていた東北自動車道では、緊急車両に限って走行が許された。警察や自衛隊、支援物資を運ぶ車両のほか、報道機関の車両にも許可が出た。私は申請して許可証を取得し、昔から津波の本場として知られる岩手県の宮古市を目指した。

 明治、昭和と三陸沖地震の津波によって甚大な被害を記録している場所が、今回どのようになっているのかを取材をするためだが、過去に何度もその地域を取材していたので地の利があった。

 だが、通行が許可されたと言っても東北自動車道はあちこち陥没や隆起があり、慎重な運転が求められた。さらに仙台を起点として三陸沿岸を通って青森市まで通じている国道45号線は津波の被害でいたるところで不通になっていたので通行を諦めた。宮古市から南へ50キロほど離れた釜石市へ行けたのは震災発生から3日ほど経ってからであった。