近年、東大野球部の戦いぶりに注目が集まっている。東京六大学リーグで昨秋まで26年間52季連続最下位と、成績だけを見れば苦戦が続いているが、ドラフト候補や甲子園経験者を揃えた六大学の他の5校と互角の攻防を繰り広げる試合が増えている。
そんな東大のレベルアップを象徴する存在が、昨年のチームで主戦を担った松岡由機投手だろう。身長172cmの小柄な身体から快速球を投げ込む右腕は、毎年50人を超える現役東大合格者を出す駒場東邦高校出身のIQエリートでもあった。「異能のエース」の野球人生を4話にわたって掘り下げていく。(矢崎 良一:フリージャーナリスト)
【第2話】なぜ東大野球部は強くなっているのか、考えながら量をこなすという思考
【第3話】体格に恵まれていない松岡は、なぜ150km近い球速を出せるようになったのか?
【第4話】通算成績「1勝14敗」よりも大切なこと、人間的成長につながった価値観の転換
昨秋のシーズン終盤、神宮球場のバックネット裏の記者室で、スポーツ紙のアマチュア野球担当記者がこんな会話を交わしていた。
「東大の松岡由機はもう野球を続ける気はないんですかね? 勿体ないですよね」
「東大ともなると就職もその辺の企業ってわけにはいかないんだろうけど、野球部のあるナントカ重工とかナンチャラ東日本じゃダメだったのかな?」
その何日か前、東大の4年生部員の卒業後の進路がSNSで公開された。松岡の欄には「日本政策投資銀行」と就職内定先が記載されていた。
一般的なサラリーマンには縁遠い名前かもしれないが、日本政策投資銀行とは政府が出資し財務省が管理する政策金融機関で、高度な金融手法を用いることで、公益性が高く、なおかつ民間金融機関だけでは対応が難しいような長期の事業資金を必要とする顧客に対しての資金供給などを中心に事業を展開している。公的機関の色合いの政府系金融機関だ。
そこには、いわゆる「社会人野球」に属する野球部はない。つまり、松岡は大学で野球をやめるという選択をしたことになる。それが記者たちの間で話題になっていたのだ。
松岡は昨年、春秋のリーグ戦全10カードで1、2戦のどちらかに先発し、他大学の名だたるエースたちと投げ合ってきた東大のエース。ストレートの球速はコンスタントに140km台を計測する。
「東大のエース」といえば、投球術を駆使した技巧派というイメージがある。実際のところ、文武両道を謳う野球強豪校は全国に数多くあるが、東大合格者を出せるほどの高校は限られてくるし、もちろん東大にはスポーツ推薦など存在しない。
そうなると、他の強豪大学のように高校生の段階からできあがっている選手が入学してくる可能性は極めて少ない。入ってからの努力でパフォーマンスを上げていくしかないのだが、それには4年間はいささか短い。
だから目の前の打者を抑えて試合に勝つためのアプローチとして、球速を追求することよりも、技術(制球力や変化球)に向かわざるをえない現実がある。
それでも、そうした枠に収まらなかった投手もいる。松家卓弘(元・日本ハム 2001年入学)は当時の東大史上最速とされる146kmを計測し、2学年上の早大・和田毅(現ソフトバンク)ら「松坂世代」の好投手たちと投げ合った。
松家以降、東大にも140kmをクリアする投手がときおり出てくるようになった。これは、ウェートトレーニングの普及や動作解析などによる投球フォームの研究などが理由として考えられる。
最近では、宮台康平(元ヤクルト 2014年入学)が3年時に150kmの壁を越え、東大の投手としては大越健介(現アナウンサー)以来、33年ぶりとなる日米大学野球の日本代表にも選出されている。
松岡も2年生の頃からストレートの球速は140kmを超えており、松家や宮台とはそれぞれタイプは異なるが、こうした系譜に続く存在と言える。
もっとも、前述の二人は東大野球部には珍しく、高校時代からそこそこ注目されていた投手だった。それに対して、松岡にはいわゆる「高校野球」の実績がない。なぜなら、高校まで軟式野球でプレーしていたからだ。