異例の8月開幕となった2020年の東京六大学野球・春季リーグ(写真:共同通信社)

 東京屈指の進学校で成績トップを取り野球部のエースとして活躍した松岡由機は、順当に東大に合格し、東大野球部での晴れやかな4年間を思い描いていた。しかし、「当たり前」にあるはずだった大学生活は、コロナ禍によって先が見えないものとなる。第3話では、投手松岡が確立されるまでのプロセスを追う。(矢崎 良一:フリージャーナリスト)

【第1話】六大学野球でも名を馳せたMAX146kmの東大エースが野球をやめる理由
【第2話】なぜ東大野球部は強くなっているのか、考えながら量をこなすという思考
【第4話】通算成績「1勝14敗」よりも大切なこと、人間的成長につながった価値観の転換

「もしコロナがなかったら、今、こういう仕事(金融関連)に就こうとも思っていなかったはずです。漠然と野球を続けていたかもしれないし、まわりに合わせてみんなが行くような業界に行っていたかもしれない。そういう意味では、結構大きなターニングポイントだった気がします」

 大学入学当時を振り返り、松岡由機はしみじみとそう言う。大袈裟ではなく、人生観が変わるくらい悩み、葛藤した時間だった。

「野球をやって何になるんだというのがわからなかったんです。それで何か得られるのかな、と。自分は今まで何不自由なく生きてきていた、本当に恵まれていたんだと痛感しました。その環境があるのが普通だと思っていたけど、僕に提供されてきた環境のレベルって、すごく高いものだったんだと気付かされました」

 ずっと部屋の中にいて、ゲームをしたり漫画を読むわけでもない。だから、悩む時間だけはいくらでもあった。いろんなことに対して「これでいいんだ」と割り切れなくなり、毎日ただモヤモヤしていた。そして、一度は野球部への入部をやめようと考えた。

「せっかく東大まで来たんだから、野球にしがみついていたって誰かのためになるものでもない。それだったら、コロナがあって勉強や部活動が自由にできていない高校生や子供たちをサポートするような活動をしたほうが、世の中の役に立つのではないだろうか。そんなふうに思っていました」

 野球部に入ってしまえば、時間的にも精神的にも野球にかけるパーセンテージが圧倒的に多くなる。もっと野球以外の時間を作れる環境に身を置いてみたかった。

「人のために何かをしたい」という思いが沸き上がり、ボランティアやNPOのような活動に参加することを本気で考えた。「何かそういう団体に入って活動しながら、野球は趣味としてやっていくみたいなプランは何度もイメージしました」と松岡は言う。

 母親に「野球はもうやらないかもしれない」と自分の考えを話したことがある。「それはそれでいいんじゃない」と反対はされなかった。もともと両親は、松岡の「やりたい」と言うことを尊重してくれる人たちだった。

なぜそこまで悩んだのか。松岡はこう説明する。