「アマチュアナンバーワン投手」と高い評価を受け、28歳になった今も、本人がプロ入りを希望すればドラフト上位指名が確実と言われているトヨタ自動車の嘉陽宗一郎投手。だが、肝心のドラフト指名の適齢期には暗いトンネルの中でもがいていた。「プロに行かない男」の野球人生に大きな影響を及ぼした苦悩の数年間を追った第2話。
(矢崎 良一:フリージャーナリスト)
◎第1話から読む:社会人野球で無双の嘉陽宗一郎、プロのローテは確実も「プロに行かない男」
それは、伸び悩みと言うべきなのか? 輝かしい将来を予感させた亜細亜大1年の秋に記録した大学初完封を境に、嘉陽宗一郎のピッチングは本来の輝きを失っていく。
原因を尋ねると、嘉陽はシンプルに「技術が足りなかったから」と言う。
「とくに成績が残せなくなってからは、いろんな人の意見を聞いたり、練習方法を見たりして、それをあれこれ取り入れたことで、結果的にもっと悪くなってしまった気がします」
たしかに投球フォームからして変わっていた印象がある。胸を張って体重移動しボールを弾くようにリリースした後、フォロースルーで右腕が身体に巻き付いてくるような入学当時のしなやかなフォームから、上級生になると、上半身を前に倒し右腕を押し出すようにしてボールを離すぎこちないフォームになっていた。
「もともと僕は肩甲骨がめちゃくちゃ柔らかかったんです。ただ、細かったんで。だから大学に来てから、身体を大きくしなくてはいけないということで、ご飯をたくさん食べて、15kgくらい体重が増えました。ウェートトレーニングもやれと言われて、何もわからないのにガンガンやっていたら、いつの間にか肩周りがガッチガチに硬くなってしまったんです」
経験を積んだ今なら、ウェートトレーニングも、このメニューがどういう部位を鍛えられて、それがピッチングにどう影響するのかといった知識を持って取り組んでいる。しかし、その当時はただ身体を大きくするためにひたすら量をやっていただけだった。
「それで気が付いたら、肩の可動域が狭くなって、肩が上がらなくなっていました。それでも今までと同じように投げようとするから、無理やり肩を上げてくるために、頭の位置を傾かせて(右肩の角度を高くして)、腕を振って投げていたんです。それじゃ腕も振れないし、スピードも出ませんよね。2年、3年、4年と、ボールがだんだん遅くなっていきました」
テークバックの柔らかさが消え、腕のしなりを失ったことで、球速は落ち、持ち味だったボールの伸びもなくなった。ただ、そうしたフォーム(技術)の問題に気付いたのは大学を卒業してからのこと。その時には原因がわからないままに投げていた。
「1年生の最初の頃のフォームで投げ続けられていたら、ずっと勝ち続けていただろうし、大学からプロにも行けていたのかな」と溜息をつくように言う。