昨年11月17日に行われたルートインBCリーグのドラフト会議。群馬ダイヤモンドペガサスから「特別合格」として入団が発表された選手たちのリストを見ていくと、ある選手の経歴に驚き、思わず二度見してしまった。
守屋大地捕手。出身校は東京大学経済学部。
独立リーグと言えば、アルバイトさながらの薄給で、NPB入りを目指す若い選手たちが厳しい生存競争を繰り広げる場所というイメージがある。そんな不安定な世界に、なぜエリート中のエリートである東大生があえて足を踏み入れるのか。
すぐに東京六大学野球の記録を調べてみると、守屋は4年間でリーグ戦の出場はわずか4試合。なおかつ、捕手としての出場は一度もない。彼はいったい何者なのか。東大卒・独立リーガーの実像に迫る。(矢崎 良一:フリージャーナリスト)※文中敬称略
BCリーグの契約は3月からシーズン終了まで。間もなく始まるキャンプに向けて、守屋は昨秋の東京六大学リーグ戦終了後から、東大球場で独自に練習を続けてきた。
「立場としては個人事業主なので、チームに合流するまではセルフマネジメントになります。チームも当然(練習を)やってくるものとして考えているし、ケガでもしたら選手契約から練習生の契約に変わる可能性もあるので、キャッチボールでもトレーニングでも漠然と数をこなすのではなく、目的意識を持ってやるようになっていますね」
落ち着いた口調で守屋は言う。笑うと愛嬌のある丸い顔。一般的な大学野球ファンで、守屋のことを知っている人はそんなにいないはずだ。
高校時代は軟式野球出身。東大では控え捕手だった。同学年に六大学屈指の強肩で、ドラフト候補として注目された松岡泰希捕手がいた。おのずと守屋の出番はなくなる。試合中はもっぱらブルペンでリリーフ投手のボールを受けるのが仕事だった。
こうして独立リーグに進むことになったのも、松岡の存在が大きく影響している。
実は、守屋と松岡の家は歩いて1分しないほどの近所にある。だが、通う学校も違うし、子供の頃は顔を合わせれば挨拶をする程度の間柄だったという。歳は守屋が一つ上。所属する少年野球(軟式)チームも違った。
守屋がいた青葉スターズはその地域ではかなりの強豪チームで、「大会でも練習試合でも、あまり負けた記憶はない」と言う。守屋はサードを守っていた。
松岡が所属していた市が尾禅当寺少年野球部とも何度か対戦しているが、松岡はまだ試合に出場していなかった。だから守屋には松岡のプレーの記憶はないが、松岡のほうは守屋のプレーを見ている。大学で松岡から「あの頃がお前の野球人生で一番凄かった」と冗談で言われたことがある。