阪急の宝塚駅。大阪方面から観劇に訪れる際は大阪─宝塚間で競合するJR福知山線ではなく、阪急に乗車するのが暗黙のルールになっている(筆者撮影)

 劇団員女性(25)の急死をめぐり、遺族側との協議が続いている宝塚歌劇団。いまや世界に誇るエンターテインメント集団へと成長したが、その組織は阪急電鉄の一部署に過ぎない。タカラヅカと鉄道事業には、どんな関連性があるのか? そこには小林一三という鉄道経営者の存在が大きく影響している。小林は私鉄のビジネスモデルを生み出した不世出の鉄道経営者として語り継がれているが、くしくもタカラヅカが揺れに揺れた昨年は小林一三の生誕150年という節目の年でもあった──。

経済発展が著しかった大阪に「箕面有馬電気軌道」が開業

 2023年9月、劇団員女性の急死をきっかけに、宝塚歌劇団が抱えていた問題が次々と噴出したが、タカラヅカは阪急電鉄のグループ会社ではなく、一事業部という位置づけになっている。同社の本業は、その名前が示す通り鉄道事業だ。

 なぜ鉄道会社が歌劇を上演しているのか、疑問を抱く人も多いだろう。その経緯をたどると、同社の成り立ちが大きく関係していることがわかる。

阪急宝塚線(写真:hirose_photo_office/アマナイメージズ/共同通信イメージズ)

 明治末から大正期にかけて、大阪には紡績業を中心に多くの工場が建ち並び、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。大阪経済は工業化によって猛スピードで発展を遂げ、経済も伸長。東京を上回る国際都市となる。

 その一方で、大工場から排出される煙や汚水によって大気汚染や水質汚濁が社会問題化していた。また、経済発展によって大阪市中心部の過密化も問題視されるようになっていた。行政も問題解決にあたろうとしたが、環境問題を改善するには工場の操業を止めるしかなく、それは経済発展を諦めることにもつながるので及び腰だった。

 そんな大阪が環境悪化する真っただ中において、阪急電鉄の前身でもある箕面有馬電気軌道が1910年に梅田(現・大阪梅田)駅―宝塚駅間と途中の石橋(現・石橋阪大前)駅から分岐して箕面公園(現・箕面)駅までを走る2路線を開業させた。

 現在、沿線には関西有数の高級住宅街もあるが、当時は農村が広がっていた。そんなエリアに鉄道が走り始めても、利用者は決して多くないことは事前から予想できた。箕面有馬電気軌道の実質的な責任者だった小林一三は、沿線を徒歩で何度も往復。現地をじかに見ることで、なんとか需要を生み出す方策を思案した。

小林一三(写真:近現代PL/アフロ)