「文化の発展と生活向上」を常に意識していた小林

 プロ野球の立ち上げ以前の1913年にも、小林は箕面有馬電気軌道の沿線に敷地約2万km2の豊中球場を建設し、同年には第一回全国中等学校優勝野球大会が開催されている。この大会は全国高等学校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園の前身にあたるが、同大会の創設も鉄道の利用客創造と野球振興という2つの目的を兼ねていた。

 小林は鉄道会社の経営者ゆえに、まず何よりも利用客の創造を考えなければならなかったが、単に利益を追求するだけの事業を発想したわけではない。常に文化の発展と生活の向上を意識していた。

 そして、小林の独創的なアイデアは多くの私鉄が模倣し、いまや鉄道事業者にとって当たり前のビジネスになっている。

宝塚バウホールの目の前に建立されている小林一三の胸像(筆者撮影)

 今回紹介したタカラヅカやプロ野球といったエンターテインメント事業だけではなく、いまや鉄道会社では当たり前となっている不動産開発・百貨店・流通業・小売業といった副業なども、小林が鉄道と結びつけたことで鉄道会社が当たり前のように事業として取り組むようになった。こうした鉄道を発展させる新しいビジネス領域を小林は開拓した。小林のような傑出した人物が登場したことは、鉄道業界にとって幸運なことだったといえる。

 だが、いまの鉄道業界は小林が生み出したビジネスを時代に応じてバージョンアップさせてはいるものの、新たなビジネスモデルを創造できているとまでは言い難い。活路を切り開けないまま人口減少局面に転じ、それが利用者減へとつながり、ジリ貧の苦しい状況に喘いでいる。

 昨年は小林一三生誕150年という節目の年でもあった。はたして今後の鉄道業界に小林のような新境地を開拓する経営者は現れるのだろうか。

(敬称略)

【小川 裕夫(おがわ ひろお)】
フリーランスライター。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスのライター・カメラマンに転身。各誌で取材・執筆・撮影を担当するほか、「東洋経済オンライン」「デイリー新潮」「NEWSポストセブン」といったネットニュース媒体にも寄稿。また、官邸で実施される内閣総理大臣会見には、史上初のフリーランスカメラマンとして参加。取材テーマは、旧内務省や旧鉄道省、総務省・国土交通省などが所管する地方自治・都市計画・都市開発・鉄道など。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『全国私鉄特急の旅』(平凡社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)、『路面電車の謎』(イースト新書Q)など。共著に『沿線格差』(SB新書)など多数。