
ラ・サール高校、東大でエースだった加治佐平さん。現在は株式会社SympaFitの代表取締役を務め、血糖値をセンサーでモニタリングしてアスリートや妊活女性をサポートする事業を展開している。加治佐さんの高校、大学での野球経験は研究者、起業家としての人生にどのように生きているのか。(佐伯 要:ライター)
ラ・サール高校で硬式野球部を創部
「高校に硬式野球部をつくりたいんです」
ラ・サール中学の3年生だった私は、高校に進学する前に学校側に働きかけました。当時(1994年)、ラ・サール高校には軟式野球部しかなく、「高校で甲子園を目指して野球がしたい」という一心でした。
硬式野球部として初めて公式戦に出場できたのは、高校3年(1996年)の春。それまでにいろいろなハードルがありました。
まず、先生方やPTAを説得するのが大変でした。
ラ・サール高校は「東大か医学部へ行け」と言われるほどの進学校。部活動は高2の秋で引退するのが慣習でした。「高3の夏まで野球をするの?」と、反対されたのです。
生徒から約1000名分の署名を集めましたが、認めてもらえず。あきらめずに「受験で結果を出しますから」と交渉しました。
監督探しも苦労しました。上坪憲治先生に自分たちの思いをレポートにして提出したのですが、「君たちの甲子園への思いはそんなものか?」と突き返されて……。何度も出し直して、ようやく監督を引き受けていただきました。
当然、グラウンドはありませんでした。野球ができる場所を探して、見つかったのは「空き地」というより「草むら」。部員みんなで草むしりと石拾いから始めました。
すると、OBの方々が協力してくださったんです。トラック何十台分もの土を運んできてくれたり、物干し竿で防球ネットを張ってくれたり。おかげさまで、野球ができるグラウンドができあがりました。