登録問題で心が揺れた1年間

 東大の野球部に入部。1年春(1999年)のリーグ戦の最終カードで、ベンチに入る予定でした。ところが、そこで問題が発覚します。

「加治佐平は早大で一度野球部員として登録されていたため、東大での登録は認められない」

 当時の東京六大学野球連盟には選手の引き抜きや二重登録を禁止するために「一度野球部に所属した者は他大学の野球部に所属できない」という規定があったのです。私はこの規定をまったく知りませんでした。

 東大野球部のマネジャーから「部員として登録できない。練習試合にも出場できない」と告げられたときは、茫然自失でした。

 それでも、その後も練習を続けました。東大グラウンドでは4年生エースだった遠藤良平さん(現北海道日本ハムGM補佐)がいっしょに走り込みやトレーニングをしてくれたし、ほかの先輩方も私を励ましてくれました。

 ただ、一人暮らしをしていたアパートの部屋に帰ると、どうしてもため息が出てしまう。「いったい何のために練習しているんだろう」と思うと、つらかったですね。

 私の登録を認めてもらえるように、三角裕監督(当時)や河野通方部長(当時)のほか、OBの方々が連盟に何度も掛け合ってくださいました。

 東大野球部のホームページには応援のメールがたくさん寄せられました。マスコミにも取り上げられ、「引き抜きがあった時代のルールを受験し直して入学したケースにあてはめるのはどうなのか」という世論が巻き起こりました。

 この間、私は心が揺れながらも、「これだけ応援してくれる人がたくさんいる」という思いで、練習に励みました。

 みなさまのお力添えで、翌年(2000年)の1月に開かれた連盟理事会で正式登録が決定。同年の春季リーグ戦から試合出場が可能になりました。この知らせを受けたときは、何が何だかわからないくらいうれしかったし、ありがたかったですね。