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ロシア軍に一時占領されたキーウ郊外ボロディアンカの集合住宅(以下すべて、2023年11月に筆者撮影)ロシア軍に一時占領されたキーウ郊外ボロディアンカの集合住宅(以下すべて、2023年11月に筆者撮影)

(文:草生亜紀子)

長引く戦争下でウクライナの人々はどのように生活しているのか。人道支援NGOのスタッフとして赴いたキーウで目にした、平穏な日常と戦争の非日常が交錯する暮らしぶりを伝える。

 隣国モルドバの首都キシナウからおよそ11時間のドライブを経て午後7時にたどり着いたウクライナの首都キーウは、「戦時下」とは思えない明るさだった。歴史的建築物が多く美しい中心部は、店の明かりや電子広告に満ちて、東京と変わらないほどピカピカだった。

キーウの夜景キーウの夜景

 翌朝のホテルの朝食はロンドンやニューヨークのホテルに引けを取らない品揃えで、注文に応じてオムレツを焼いてくれる女性までいて、耐乏生活の影はない。

 精密誘導弾に目標の位置情報を打ち込めば、標的が明るかろうが暗かろうが、ミサイルでもドローンでも飛んでいく戦争の時代に「灯火管制」に意味がないことは頭ではわかる。「欲しがりません 勝つまでは」的プロパガンダよりも、同時多発テロ直後のアメリカのように「普通の生活を続けることが屈しないこと」なのかもしれないが、この戦争は、少なくとも首都キーウでは見えにくい(11月25日に大規模なドローン攻撃があったが、私がキーウにいた11月はじめはこうしたことのない時期だった)。

 60歳を過ぎて会社員を辞めたところで、縁あってNGOの業務を請け負うことになった。きっかけは昨年暮れ、ポーランドでウクライナの人々を支援する友人からの1本のメールだった。「人道支援の仕事に興味はありませんか?」。「ありますとも」と返事したことから、今年2月、NGOピースウィンズ・ジャパンのウクライナ支援チームの一員となった。人生どう転がるかわからない。

 ピースウィンズがウクライナとモルドバで行っている様々な支援事業(NGOは「みなさまからのご寄付」で細々と善行を積んでいるものと思っていたが、大まちがいで政府資金も得て数千万円から数億円単位の事業をいくつも動かしている)について学びながら、テロに出くわした時の身の守り方の講習(これはこれで興味深い)を受けたり、事業計画の立て方を習ったりして8カ月。プロジェクトの現場を見せてもらえることになった。ここから書くのは、NGO見習いの「ウクライナ出張日記」のようなものである。

 現在、外務省はウクライナの危険レベルが「レベル4」であるとして、「退避してください。渡航は止めてください」と赤い文字で警告している。実際、私の滞在中の11月1日にはウクライナ国内10地域の118集落が攻撃され、今年に入って最多の攻撃だったと報じられた。

 戒厳令と総動員令が発令され、すべての空港は閉鎖され、午前0時から5時までの夜間外出は禁止され、18歳から60歳までの男性は出国禁止であり、郊外の森には地雷の看板が散見され、都市の幹線道路には武装兵士が必要に応じて検問を行うチェックポイントがあるなど、戒厳令下であることを感じないわけにいかない。そして、キーウ中心にある独立広場には戦死した兵士の数だけの国旗がひしめいている。

 一方で、夜になると銃声が街に響いたアパルトヘイト下の南アフリカ共和国のヨハネスブルクや、荷台にロケット砲を積んだトラックが激しく行き交うザイール(現コンゴ民主共和国)、そこらに地雷が埋まっていた1990年代のカンボジア、今、文字通り砲弾の雨が降り注ぐガザと比べて、キーウが特段に「危険」なのかというと、そんな気配はない。ショッピングモールにはブランド品が並び、おしゃれなレストランには食事を楽しむ人々の姿がある。ゆったりと犬の散歩をする人もいれば、公園で遊ぶ子供の姿もある。

 ロシア軍との激しい攻防が続くウクライナ東部と南部は別として、キーウをはじめとするそれ以外の地域では、日常と非日常が両端にあるシーソーの上で揺れながら生活が続いているような状態なのかもしれない。そんなシーソーの上のウクライナの暮らしを見えた範囲で点描したい。

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