管制塔占拠事件

 その後は反対運動が話題になることも少なくなり、空港は厳重な警備の中で反対運動を尻目に着々と建設されていった。

 だが、いよいよ成田空港が開港を迎えるという直前の1978年3月26日、事件が起こった。新左翼活動家による空港管制塔占拠事件だ。22人の活動家たちが数日前から地下の排水溝に潜り込んで管制塔の真下まで行き、マンホールの蓋から飛び出すと直結するエレベーターで管制室に乱入し、電子機器類をハンマーで叩き壊したのだ。

 これには空港公団も寝耳に水の驚きを隠せなかった。そしてこのゲリラ戦法により開港は2カ月遅れとなった。

「あの時、俺も占拠部隊の一員に選ばれていたんだ」と、数年前に郷里の友人が飲み屋でしみじみと語った。「だが、実行の一週間前に別件で警察にパクられて檻の中にいたんだ。おかげさまでというか何というか、それで20年のム所暮らしは免れたんだがね……」と、彼は遠くを見るような目で酒を口に運んだ。

 その後も成田空港の攻防戦は小規模ながらも続き、海外では「ゲリラが近くにいるヤバイ空港」と言われていた。