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(黒木亮・作家)

 5年前、三浦瑠璃氏がテレビで北朝鮮の潜伏工作員に関し、「テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪がヤバいって言われていて」と発言し、物議を醸したことがある。

 一方、筆者が住む英国や欧州、米国などでは、潜伏工作員は現実の話で、テロリストが捕まったとか、射殺されたといった報道をよく見かける。

アテネの日本人向け書店

 筆者が初めて、スリーパー(直訳は「眠っている人」で、普段は一般人として暮らしている潜伏工作員)に出会ったのは、邦銀の社費留学生としてエジプトのカイロで勉強していた28歳のときである。当時はインターネットもなく、エジプトのような中東・アフリカ諸国では、日本の食料品、本・雑誌なども売っていなかった。そのため1年10カ月の留学期間中、何度かギリシャに買い出しに出かけた。

カイロ留学時代の筆者(アテネにて。写真:筆者提供)

 アテネはカイロから飛行機で2時間ほどの近場である。汗と残飯と羊肉を焼く臭いが充満し、すべての物が砂埃にまみれたカイロからやって来ると、清潔で近代的で、ああ、ここはヨーロッパなんだなあ、と感激しながら、どこまでも明るい太陽を浴び、空気を存分に吸った。市内に「ABCパシロポロス」というスーパーがあり、棚一つ分のスペースに醤油や海苔など、種類は少ないが、日本食を売っていた。

 日本語の書店は、アテネ中心部・シンタグマ(憲法)広場から歩いてすぐの、レストランや土産物店が多く、賑やかな旧市街・プラカ地区の一角にあった。

 間口一間ほどの小さな店で、置いてある本の数は申し訳程だったので、これでやっていけるのかなあと、人ごとながら心配した。いつも店の奥にすわっている店主は三十歳過ぎと思しい、中背で痩せ型の日本人男性で、俗世間を超越した恬淡とした雰囲気を漂わせていた。どんな生い立ちをへて、こんな日本人も少ない遥かな異国で本屋なんかをやっているのだろうかと思った。

 口調は穏やかで、「ここの本は航空便で来るんですか?」「いえ、だいたい船便ですね」「昨日バーに入りましたけど、勘定が600ドルでした」「この辺のバーは、みんなぼったくりですよ」というような世間話をした。ギリシャのことも色々親切に教えてくれた。