MLBの公式サイトで「松井秀喜氏は日米通算なら殿堂入り資格を満たしている」という記事が掲載された。日本のメディアは「MLBが松井秀喜氏の殿堂入りをプッシュした」と言っているが、そういうことではないようだ。
とまれ、日本に野球が伝わって153年、日米の野球の実力差はようやく「議論に上るレベル」まで縮まったといってよいだろう。
マイナーチームに6戦全敗した日本プロ野球
1872年にアメリカのお雇い外国人、ホーレス・ウィルソンが野球をもたらして以降、日本野球はMLBがルールを変更すれば、それに追随するなど、アメリカを「野球の宗主国」として尊重してきた。そもそも日本プロ野球の始まりも、1934年のベーブ・ルースらが来日した「日米野球」がきっかけだった。
プロ野球のリーグ戦が始まった1936年には、ハーバート・ノース(名古屋)、ジミー・ボンナ(大東京)、バッキー・ハリス(名古屋)と3人の外国人選手がいた。また髙橋吉雄(名古屋)、松浦一義(名古屋)、堀尾文人(阪急)、農人渉(金鯱)、若林忠志(大阪)と5人の日系アメリカ人がいた(巨人のビクトル・スタルヒンはロシアからの亡命者でMLBとは無関係)。
これらの中で、バッキー・ハリスと堀尾文人が短期間、MLB傘下のマイナーリーグに在籍した程度で、それ以外はアマチュア選手だった。
戦後、プロ野球が再開されると、外国人選手が再び入団するようになったが、日米の戦力差は、まだ極めて大きかった。
1949年に来日したサンフランシスコ・シールズはマイナーチームだったが、川上哲治、大下弘、スタルヒンなど日本のトップ選手からなる日本チームに6戦全勝している。