元メジャーリーガー“助っ人”の第1号は現役米軍兵
メジャーリーガーとして初めて日本プロ野球でプレーしたのは1953年、毎日に入団したレオ・カイリーだ。カイリーは1951年に左腕投手としてレッドソックスで投げたが、朝鮮戦争がはじまると兵役に就き、進駐軍の一員として朝霞基地に勤務していた。
カイリーは、隊務のない休日とナイターだけ出場した。
MLBでは1シーズン17試合に投げただけの24歳のカイリーだったが、当時の日米の格差はすさまじく、毎日では6試合に投げて6勝0敗、防御率1.80と圧倒的な成績。それだけでなく、打者としても19打数10安打、打率.526をマーク。当時のNPBとMLBは「大人と子供」くらいの格差があったといえよう。

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以後、多くの外国人選手が入団するが、ほとんどがマイナーリーガーで、メジャー経験があってもほんの数試合というレベルの選手が多かった。
1964年、阪急に入団したダリル・スペンサーは、MLBではウィリー・メイズやスタン・ミュージアルと中軸を打ったこともある「本物のメジャーリーガー」だった。
スペンサーは攻守に活躍。1965年には安打、二塁打、三塁打、本塁打を1試合で記録する「サイクル安打」を達成したが、記者は誰も彼に話を聞きに来なかった。当時、NPBには「サイクル安打」の概念がなかったのだ。スペンサーによってこの記録を知ったNPBは、さかのぼって達成者を探し出し、スペンサーと共に顕彰した。
プロ野球が始まって30年近くが経っても、まだアメリカから学ぶことがあったのだ。