MLBの大物がNPBにこなかったのは、一つには年俸の格差が大きかったことがある。1985年のNPB選手の平均年俸は1376万円、MLBは4083万円と3倍の開きがあった。

「待遇差」も大きかった。NPBの本拠地球場はロッカールームやシャワールームも貧弱で、提供される住宅も豪華とは言えなかった。当時のNPB選手の多くが喫煙者だったことも、MLB選手には衝撃的だった。

 それ以上に大きかったのは、当時、NPBからMLBに移籍する日本人選手が皆無だったことだろう。1963年に南海から「野球留学」でジャイアンツ傘下に派遣された左腕投手村上雅則がメジャーで投げたのを唯一の例として、それ以降、日本人でメジャーに挑戦した選手はいなかった。

 メジャーリーガーにとって、NPBはアジアの「独立リーグ」に過ぎず、そこへの移籍は「都落ち」のようなものであり、日本での「劣悪な環境」もあってイメージが悪かった。

日本に活躍場を求めてやってくるようになった若手選手たち

 状況が変化したのは、1995年に野茂英雄が近鉄からドジャースに移籍し活躍して以降、多くの日本人選手が海を渡ってMLBに挑戦するようになってからだ。

 これまでは、MLBで通用しなかった選手が、「メジャー通算何本」という触れ込みで、NPBに来ることが多かったが、この時期以後、「出世前」で「新たな働き場所」を求める若手選手が、NPBにチャレンジするようになった。彼らはNPBの野球に適応することに貪欲で、前向きだった。

 その代表格が横浜のロバート・ローズと、ヤクルト、巨人、DeNAのアレックス・ラミレスだろう。

 ローズは1993年26歳で来日すると、打点王2回、首位打者1回を獲得。98年の横浜優勝の立役者となった。

横浜ベイスターズのロバート・ローズ。「マシンガン打線」の中心で、1998年の日本一に貢献した(写真:共同通信社)
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 またラミレスは2001年27歳で来日、本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、MVP2回、2013年には外国人史上初の2000本安打を記録、2023年にはランディ・バースと共に日本の野球殿堂入りしている。

アレックス・ラミレス。ヤクルトと巨人で日本一を経験、横浜DeNAでは監督も務めた(写真:共同通信社)
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