黒夢「KUROYUME BOX+」ジャケット写真より

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は、名古屋系を切り拓いたパイオニアとして知られ、現在まで続くヴィジュアル系っぽいボーカルのパブリックイメージを定着させた「黒夢」を紹介する。 (JBpress)

V-ROCKイズムの根幹

 以前、音楽としてのヴィジュアル系を象徴する楽曲として、LUNA SEA「ROSIER」(1994年)を取り上げた。退廃美の世界観と刹那的な歌詞、緩急のついたドラマティックな楽曲展開を持った同曲は、ヴィジュアル系ロック、V-ROCKの雛形というべき存在にもなった。

 そうした楽曲展開や空間系エフェクトを施したギターサウンドなど、ヴィジュアル系を感じさせる音の要素がある。では、ボーカルではどうだろう。ニヒルでナルシシズムを漂わせながら、狂気性を感じさせるヒステリックなシャウト……そんな現在まで続くヴィジュアル系っぽいボーカルのパブリックイメージを定着させたのは、黒夢のボーカリスト、清春だろう。英国ゴシックロックの妖艶さと日本古来の歌謡ロックを織り交ぜながらオリジナルスタイルを確立させた唯一無二のボーカリストである。

 巻き舌気味でしゃくるような発声、強烈なビブラート、日本語のイントネーションやアクセントをずらして英語っぽく聞かせ、艶めかしく歌いながらも突如豹変して吐き捨てるようにシャウトするという、今では多くのボーカリストがやっているスタイルは清春が流行らせたようなものだ。そしてボーカルスタイルのみならずステージングにおいても、いわゆるボーカリストが上がる“お立ち台”も元を辿れば、清春がパイオニアであるという説も出るくらい、彼のスタイルはV-ROCKイズムの根幹にあるのだ。

 そして清春はもちろん、黒夢がシーンに与えた影響力は大きい。“名古屋系”と呼ばれたダークなシーンから、ヴィジュアル系ブームの反面で引き起こされた脱ヴィジュ(脱ヴィジュル系)というムーヴメントに至るまで、広範囲にわたる。活動のなかで音楽性とビジュアル面が大きく進化していったバンドであるが、その変遷はヴィジュアル系シーンの歴史を物語っていると言っていいものだ。

名古屋系を切り拓いたパイオニア

 黒夢は1994年にメジャーデビュー。続いて1996年4月にROUAGE、同年9月にLaputaがメジャーデビューを果たした。翌1997年にメジャー進出したFANATIC◇CRISISは、MALICE MIZER、La'cryma Christi、SHAZNAと共に“ヴィジュアル四天王”と呼ばれた。ここに挙げたバンドは中京圏、名古屋出身のバンドである。

 90年代のヴィジュアル系シーンは、東はX率いる、Zi:KILL、LUNA SEAらが所属していたエクスタシーレコード、対して西にはCOLORが率い、BY-SEXUAL、かまいたちといったバンドが所属していたフリーウィルという、東京と大阪のインディーズレーベルの存在が大きくあった。しかし、先述の黒夢を筆頭としたバンドはそのどちらでもない名古屋のバンドである。“名古屋系”、気づけば彼らのことを皆がそう呼ぶようになっていた。

 当初は“名古屋シーン出身のバンド”という意味合いであったが、ダークで退廃的な雰囲気を持ったバンドが多かったことから、“名古屋特有の様式美”として使用されるようになった。その発端となったのが黒夢である。

 黒夢の猟奇的な音楽性と陰鬱で病んだ歌詞と耽美なメロディ、グロテスクでシアトリカルな世界観は、ヴィジュアル系黎明期に“黒服系”と呼ばれていたバンドの特性をより色濃くしたものであり、その流れを汲んだ名古屋出身のバンドが、名古屋系と呼ばれるようになっていったのである。

 名古屋系は直接的に音楽性を表しているわけではないが、イギリスのゴシックロック、そしてポジパンこと、ポジティヴパンクの影響を大きく受けている。

 日本におけるゴシックロックの祖でもある、AUTO-MODや、雑誌『FOOL’S MATE』初代編集長である北村昌士が設立したレーベル、トランスレコード所属のバンドなど、そうした先駆者たちの影響を強く受けていたのが黒夢であり、その前身バンドであるGARNETだ。清春の存在は言わずもがな、ダニエル・アッシュ(バウハウス)から布袋寅泰、今井寿(BUCK-TICK)の影響下といえる、真宮馨のエッジィでニューウェーヴな香りを放つギターも印象的だった。

 1991年にGARNETは解散。その後、実質ギタリストが替わった形で結成されたのが黒夢である。「夢とか神というものは存在しない」という意味が込められたバンド名、さらには「死」といった絶望的で過激性を帯びたコンセプトを全面に押し出した。十字架、棺桶、蝋燭、首吊り……といった暗黒的なアイコンを用いて作り上げたビジュアル面は彼らのスタイルを色濃く表していた。

 サウンド面ではジャパメタ影響下のギタリスト、臣によるギタープレイがバンドの世界観をハードに扇動していく。ニューウェイヴとポジパン要素にメタリックでハードコアなサウンドを融合させた。AUTO-MODのシアトリカルとトランスレコードの複雑で難解な世界が絡み合う中で、ジャパメタのハードなサウンドが猛り狂う。様々な要素を取り入れた、その絶妙なバランス感覚は、『生きていた中絶児』(1992年12月)で見事に体現されている。ヴィジュアル系を代表する名盤であり、名古屋系の金字塔となった作品だ。