コソボ北部のスベカン市庁舎前でNATO平和維持部隊と衝突するセルビア系住民。5月29日撮影(写真:ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 コソボ北部で、アルバニア系市長の誕生に抗議するセルビア系住民がデモを繰り返し、治安当局やNATO平和維持部隊と衝突し、負傷者が出ている。

 民族紛争の炎がまた上がっている。この状態は、ウクライナ戦争が停戦した後の秩序維持の困難さを示唆している。私には、コソボとウクライナが二重写しに見える。

ユーゴスラビアの解体

 1989年のベルリンの壁崩壊後の東欧諸国の民主化に刺激されたユーゴスラビアは、構成する共和国が独立への動きを強めていく。1980年5月にカリスマ的指導者、チトーが死去してからは、経済も悪化し、国内の分裂要因が拡大していたのである。

 第一次大戦後に誕生したユーゴスラビア王国は、第二次大戦後、チトーの下で、ソ連邦の衛星国ではない自主的な社会主義連邦国家として再出発した。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と称される多様性にあふれる国である。

 6つの共和国とは、セルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナであり、最大の民族はセルビア人である。