
岩手県陸前高田市の中心市街地は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。それから14年を経た現在、大規模なかさ上げ工事によって現地では全く新しい街が姿を現している。このまちづくりの先頭に立ったのは震災発生時に市長だった戸羽太氏(60)だ。この2月下旬、陸前高田市を訪れ、東日本大震災の教訓と新しい街の将来を尋ねた。
(西村卓也:フリーランス記者)
日本中を震撼させた陸前高田市の津波被害
陸前高田市を襲った津波被害の凄まじさは、数字に現れている。震災当時の人口は2万4000人余り。それに対し行方不明者を含む犠牲者は1700人を超す。
津波による被災世帯は全8000世帯の約半数に達し、津波被害を受けた世帯はほとんど全壊した。市役所や体育館など公共施設は相次いで全壊したうえ、67カ所あった1次避難所の半数以上は浸水した。

犠牲者の中には避難所で津波に襲われた人もいる。犠牲者数は岩手県最大だった。
戸羽氏が陸前高田市の市長に選ばれたのは、そのわずか1カ月ほど前の2011年2月初旬だった。首都圏で生まれ育ち、28歳で父の郷里・陸前高田市へ。地元企業に勤め、市議や市助役(現・副市長)を経験した上での市長就任である。
「震災前は、閉鎖的で、外から人が来るわけでもなく、なんとなく1日が過ぎていくようなまちでした」
そんな土地の市長になって、すぐ大津波に襲われるとは、戸羽氏自身、全く考えてもいなかったに違いない。大震災の混乱が落ち着く間もないまま、市長として考えたことは、いかにして大津波に負けないまちをつくるかという難題だった。