阪神・淡路大震災の発生から、2025年1月17日で丸30年を迎えます。神戸市や淡路島北部を中心とするエリアは1994年のその日早朝、激しい揺れに見舞われました。初めて「震度7」を記録した地震。関連死を含めた死者は6434人、住宅被害は約64万棟に上りました。日本列島はその後、東日本大震災(2011年)や能登半島地震(2024年)などに襲われていますが、30年前の阪神・淡路大震災こそ「防災」が日本社会の最重要課題として浮かび上がった出来事でした。あの大災害に人々はどう立ち向かい、どんな教訓を得たのでしょうか。やさしく解説します。
震度7、死者6400人超
阪神・淡路大震災が発生したのは、1月17日午前5時46分です。多くの家庭ではまだ眠りについている時間帯でした。
震源は淡路島北部で、深さ16キロ。地震の規模を示すマグニチュードは7.3を観測しました。気象庁は当初、最大震度を6としていましたが、その後の現地調査で淡路島や神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市のそれぞれ一部地域では震度7の揺れだったことが判明したと発表しました。
6400人を超える死者の大半は神戸市でした。負傷者は4万3792人(うち重傷は1万608人)。住宅被害は63万9686棟(うち全壊10万4906棟)に及んでいます。火災も被害を大きくしました。神戸市長田区など古い木造家屋が密集した地域も大きな揺れに遭遇し、各所で火災が発生。最終的には7000棟以上が全焼しました。
地震から30年が過ぎ、当時10歳だった子どもは40歳の壮年になっています。総務省統計局の人口推計によれば、総人口の4分の1は30歳未満。阪神・淡路大震災をリアルに記憶していない人もかなりの割合になってきました。
しかし、この大震災を体験していない人であっても、崩れ落ちた高速道路や神戸市中心部のビル、激しく燃え続ける住宅街などの写真や映像は目にしたことがあるに違いありません。あるいは、体験者の手記などを読んだり、関連のニュースを見たりした人も多いはずです。
それは、阪神・淡路大震災の経験と教訓を何としても伝え続けよう、災害からどうやって命を守るかを考え続けようとして、多くの関係者が今もなお、懸命に発信を続けているからです。