消防隊員「救助活動の限界を感じることはない」
あちこちから火の手があがり、救助を求める通報がひっきりなしに届いた神戸市消防局。隊員たちは経験したことのない揺れ、がれきの山、炎のなかで懸命に救助活動を続けました。神戸市消防局はそうした任務に従事した隊員1人ひとりの手記と教訓をホームページで公開しています。
当時、消防局の広報誌「雪」に掲載された手記は、どれも読む人の胸を打ちます。その1つ、長田消防署の隊員による「大震災の救助現場で」を紹介しましょう。
「おじさん、早く出してっ!」
比較的、元気そうな声で女の子が呼んでいます。地震発生後、私が出動した3件目の生き埋めの現場は、母親と姉妹3人の計4人が倒壊した建物内に取り残されました。要救助者に不安を持たせてはいけないと思い、こちらも努めて明るく、「すぐに出れるから、もう少しだけ辛抱してな」と返事するが、倒壊建物は鉄筋コンクリート造の2階建。1階部分は押し潰され1メートルぐらいになっており、要救助者まではコンクリート壁、押し潰された家具などが障害になって救出が容易で無いことはすぐに想像がついた。
同僚二人と相談し、1階玄関付近から屋内への進入を試みるが内部は更に狭く、高さが50センチ程になり、木片、ガラス片、衣類、本等が進入を阻んでいた。ほふくの姿勢で進みながら、手当たり次第に障害物を除去し、5~6 メートル進入したところで二段ベッドが潰れ姉妹2人が重なって天井との間に挟まっているのを確認。布団、毛布を引き抜き、わずかに間隔を拡げ約2時間後に救出に成功しました。
その後、同場所から母親と末妹の救出を試みましたが、障害物の除去が困難なため救助方法を変更、2階床面を削岩機で破壊、鉄筋をボルトクリッパーで切断し開口部を作り、家屋内から引き出すことはできたが、活動を始めてから約7時間が経過、すでに息を引き取られていた。
活動中、何度かの余震の恐怖感に襲われながらも、自分自身を叱咤激励し、救出をやり遂げることはできましたが、妻と娘を亡くされたご主人の心情を考えると、決して満足できる結果ではない。今回の震災で、私自身10数名の救出に立ち会ったが、生存はわずか4名。大規模災害の脅威と人間の非力を思い知らされたが、救助活動の限界を感じることはない。
(※原文の漢字を一部、ひらがなに改めるなどしています)