「災害後」も見据えた根本的な対策を

 実際、震災時に2万4000人だった人口は現在、1万7000人台にまで減った。市外へ避難した住民の帰還は進まず、若年層は流出。少子高齢化に拍車がかかっている。

 震災によって陸前高田の名は全国に知られたし、「震災を機に人との交流が広がり、移住してくる若者も増えました」と戸羽氏も言う。震災によって今までになかった人的交流が生まれ、大きな刺激になってきたことも間違いない。

 それでも、経済の停滞が続く現状で、具体的な将来展望を切り開いていくのは容易ではない。
 
「(震災前)地方であれば、3世代同居があって、正月には親戚が集まる、そんな暮らしがありました。今でも『昔の方が良かった』という人は多いのではないでしょうか」

 そう語った戸羽氏は、こう付け加えた。「経済成長を追い求めるだけではなく、何を目指すのか。そこをよく考えたらいいと思います」

 筆者は市長時代の戸羽氏を何度か取材してきたが、戸羽氏が繰り返し口にしていたのは政府の頑なな対応だった。陸前高田市が高台移転を目指す際、さまざまな規制が障害になった。行政手続きの遅れは復興の遅れに直結する。問われるのは「震災後」のことをどこまで考えているかである。

「『防災、防災』と言って、災害を防ぐことには一生懸命になるのに、災害が起きた後にどうするかということも考えておかなくてはならないはずです」

 遺族に支給される「災害弔慰金」もそうした一例だ。法律では、1市町村で5世帯以上に被害があった災害の際に国が2分の1、都道府県と市町村が各4分の1を負担することになっている。

 東日本大震災による陸前高田市の犠牲者は1700人超。すると、どうなるか。「大規模災害が起きると、(4分の1であっても)1自治体では弔慰金も負担しきれないのです」と戸羽氏は訴える。

 いま、政府は南海トラフ地震への備えを急いでいる。2026年度には「防災庁」も創設される。しかし、災害「発生後」の対応は、東日本大震災から14年経った現在もおぼつかない。2024年1月の能登半島地震の対応を見ても、政府の対応は十分には見えない。

「『自助』『共助』『公助』という言葉がありますが、やっぱり命を守るということは『自助』なんでしょうね」

 災害を人ごとではなく、自分のこととして考え、「自助」するにしても、当然、限界はある。法体系の整備など、“発生後を見据えた根本的な事前対応”は政府の責任で進めるほかないだろう。

西村 卓也(にしむら・たくや)
フリーランス記者。札幌市出身。早稲田大学卒業後、北海道新聞社へ。首相官邸キャップ、米ワシントン支局長、論説主幹などを歴任し、2023年からフリー。日本外国特派員協会会員。ワシントンの日本関連リサーチセンター“Asia Policy Point”シニアフェロー。「日本のいま」を世界に紹介するニュース&コメンタリー「J Update」(英文)を更新中。