本田宗一郎氏写真提供:共同通信社
日本を代表する経営者であり、本田技研工業の創業者でもある本田宗一郎氏。その考え方は時代が変わってもなお、耳を傾ける価値がある。本連載では、今も多くの人に読みつがれる『本田宗一郎 夢を力に』(本田宗一郎著/日本経済新聞出版)から、内容の一部を抜粋・再編集。裸一貫から世界への扉を開いた名経営者の行動力と言葉に、改めて光を当てる。
戦後復興期、輸入が大きなリスクとされていた時代に、本田宗一郎氏はなぜ高額な最新機械を海外から導入したのか? さらに、運悪く訪れた不況をどのように乗り越えたのか? その決断と行動に迫る。
※本記事の中には今日、差別的とされる語句や表現がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載いたしました。
不況下、不眠不休で代金回収
『本田宗一郎 夢を力に』(日本経済新聞出版)
世間では本田技研といえば株価が何倍になったとか言って、いかにも順風満帆で今日まで何事もなくきたかのように思っている人が多いが、やはり企業の存立にかかわるような苦しい時代を経てこそ今日があったのである。
26年(1951年)ごろ、輸出振興と合わせて輸入防止を政府に頼むため民間業者の会合があった。だが私はそれに参加しなかった。輸出を政府に頼み、そのうえさらに輸入防止まで依頼しようという安易な道を選ぶことに強い反発を感じたからである。
これはわれわれがあくまで技術によって解決すべき問題である。日本の技術がすぐれて製品が良質であるなら、だれも外国品を輸入しようとは思わない。また黙っていても輸出は増加するはずだ。そのとき私は“良品に国境なし”のことばを身をもって実現しようと決心した。技術を高め、世界一性能のいいエンジンを開発して輸入を防ぎ、輸出をはかろうというわけである。
だが、無手で技術のすぐれたものができるはずがない。「弘法筆を選ばず」という格言があるが、字を書くくらいならそれもできよう、しかし、現今の日進月歩の技術の世の中では、やはり筆を選ばなくてはならない。どんないいアイデアがあっても、それを表現する道具を持ち合わせていなくてはどうにもならない。マスプロ化ということになると、いっそうその必要性が高い。そこで、どうしてもいい外国の機械を輸入したいと考えた。






