周囲の反対を押し切り秀吉に嫁いだ寧々

 貧しい階層から出世し天下統一を成し遂げた秀吉は、裸一貫から成功した立志伝中の代表的存在として、いまも人気だ。

『太閤素生記』によれば、主君・信長からは「サル」または「はげねずみ」というあだ名で呼ばれた。

 のちに秀吉に謁見したポルトガルの宣教師ルイス・フロイトが記した『フロイス日本史』には「背が低く、醜悪な容貌の持ち主」と形容されている。

 冴えない容姿と下層の民という出自に劣等感を抱いていた秀吉は、若い頃は女性とはあまり縁がなかった。

 しかし、信長に仕えて7年目の24歳の時、信長の家臣・木下家の美少女・寧々に好意を抱く。
 
 当時14歳だった寧々は、秀吉の人を虜にする不思議な魅力と、抜きん出た聡慧を備えた彼に自然と惹かれていった。

 しかし、代々の武家に生まれた寧々の母・朝日殿は、身分の低い出の秀吉を蔑んで嫌忌し、娘に相応しくないと猛反対。

 結局、寧々は自身の意思を貫き通して秀吉に嫁ぐ決意を固める。

 その際、木下家と秀吉が縁戚関係とならないように、信長に弓衆として仕えた浅野長勝の養女となってから秀吉に嫁いだ。

 2人の結婚は媒酌の人を介させることのない、いわゆる暗々裏に結び交わる野合と周囲の目には映った。

 秀吉は立身出世を果たし天下人となったが、彼は昔の私怨から寧々の実家を冷遇し続けた。

 一方の朝日殿も秀吉が関白に昇り詰めても、相も変わらず彼を見縊り、卑賎な成り上がり者と軽んじていた。