尾張愛知郡中村郷の山で薪を刈って生計を立てる貧しい階層に生まれた豊臣秀吉(藤吉郎)。 少年時代に名字はなく、針売りなど行商人をしながら放浪し、17歳の時、織田信長の下男として取り立てられる。 のちに天性の「人たらし」で人の心を掌握する天才と評される秀吉は、信長との出会いが、その運命を決定づけた。 越前の朝倉義景を織田信長が攻撃した際、同盟関係にあった浅井長政が信長を裏切ると、織田軍は浅井軍・朝倉軍に挟まれ窮地に陥った。 この時、秀吉と徳川家康の両軍が信長軍を援護。この撤退戦「金ケ崎の退き口」で秀吉は頭角を現わす。 信長が「本能寺の変」で明智光秀に倒された時、秀吉は毛利輝元の勢力下にあった備中・