成功するにつれて創造性を失う理由
大黒:「アンダーマイニング効果」は関係があると思います。最初からお金が目的で創作活動をする人はあまりいないでしょう。ところが、成功してしまうと「お金のため」「生活のため」「売れるため」に作るようになる。そして、思ったほど成果がでなければモチベーションは落ちていきます。
ただ、創作意欲に関しては他にも重要なことがあります。人間は不確実性を下げようとするので、こうすれば、こういう結果が得られると分かれば、何度も同じ行動を繰り返す。一度ある成功パターンを体験すると同じやり方で再現しようとするのです。だから、新しいことができなくなる。
これは1人の人間の中で起きることばかりではなく、時代を通してそういったことが起こります。新しい音楽を作っても、それは既存の音楽理論に則った音楽です。古代から続いてきた理論の上に成り立っている。こうすれば、人々は音楽だと認識する、ということを歴史的にも遺伝的にも私たちは知っており、そこに乗じて曲を作る作業は本質的にはクリエイティブではありません。
現代音楽家たちは、そこを壊そうと考える。既存の音楽理論を認識して、どうすればそれを壊せるかを考える。オーストリアの作曲家、アルノルト・シェーンベルクも「十二音技法」を作りましたが、それ以降もずっと新しいことをしていたわけではなく、今度は「十二音技法」という枠組みの中で何ができるのかを考えるようになる。だんだんクリエイティブでなくなっていく、これは仕方のないことだと思います。
──神奈川県茅ケ崎市の香川小学校では、通信表(通信簿)を廃止したそうです。成績制からの脱却ですが、こういった試みは生徒たちの学びにどんな影響を与えると思いますか。
大黒:通信簿を廃止することによって「評価されたい」という意識は弱まるのかもしれません。そうすると、報酬は本人の主観的な成功に寄っていく。もちろん、実際には教師から何かしら評価される場面は出てくると思いますが、それでも、人と比較する必要が減るのはいい方に働くと思います。
私にはそもそも通信簿というものがなぜ必要なのか分からない。1人の人間からすべてを評価される成績の付け方はおかしい。テストの点数から「全体の中であなたはここ」と示される偏差値の方がまだマシだと思います。
目の前の先生を超えることが次世代の目標なのに、先生が通信簿という評価の枠組みを作り、生徒がその中で評価されようと考えれば、生徒は先生を超えられなくなる。そして、その評価は先生の主観によって測られる。
私自身も中学生の頃に、内申点が悪すぎて、とある高校に入るのは難しいと先生から言われたことがありました。もちろん今でも尊敬、感謝している先生ですが、その時は、なぜそんな評価をされなければならないのか理解できませんでした。通信簿を廃止するという取り組みは正しいと思います。