2022年7月8日、あまりにも突然にこの世を去った安倍晋三元首相。以来、政治と宗教の関係、国葬儀開催の是非を巡る報道が続いたが、政治家 安倍晋三を振り返り議論する機会はまだ少ない。
憲政史上最長政権を生み出した稀代の政治家は、どのようなことを思い悩みながら数々の国論を二分する政治テーマと向き合っていたのか。『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)を上梓した読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
報道に対する安倍元首相の気持ち
──本書は2020年10月から2021年10月まで、計18回、延べ36時間にもわたって行われた安倍晋三元首相へのインタビューを書籍化したものです。安倍さんが亡くなる直前にこのような回顧録を遺したということに驚きますが、どのような経緯から回顧録の製作が始まったのでしょうか。
橋本五郎氏(以下、橋本):安倍さんが辞意表明されたのは2020年8月ですが、その1カ月半前の7月10日に、コロナ対策に関して、首相官邸で私が安倍さんと対談する機会がありました。周囲には秘書官など人がたくさんいましたので、私は安倍さんに部屋の隅へ来ていただいて、「来年9月に総裁の任期が切れます。すぐに回顧録を出しましょう」と提案すると、安倍さんは「いいですよ」と即答してくれた。
まさか、そのすぐ後にあのような突然の辞任に至るとは思いもしませんでしたので、「回顧録はもう無理かな」と考えていたら、ほどなくして安倍さんから連絡があり、「回顧録を作りたい」と言われた。それで、その年の10月からインタビューが始まりました。
インタビューを受けていただくにあたっては、前国家安全保障局長の北村滋さんが入念に準備をされました。北村さんは赤旗や朝日から産経まで、新聞社各社の過去の記事を集めて整理したスクラップブックを作っていました。それを安倍さんに見てもらい、記憶を呼び起こし、情報を確認してもらい、一つ一つの出来事やテーマに対して万全の態勢で毎回インタビューに臨んでいただきました。
──安倍さんが自ら回顧録を望んだということは、現役の首相だった時にいろいろ言われたけれど、時々の情勢の中で言えないことがあって、それを語っておきたいという思いがあったのでしょうか。
橋本:絶対そうだと思う。報道のされ方に対してものすごく不満があったのだと思います。森友問題にしても、黒川元検事長を巡る問題にしても、自分の理解とは違う形で報じられて批判される。一般に流布されている情報は間違っているという気持ちが安倍さんにはずっとあった。だから、自分の言葉で説明したいという気持ちがあったのだと思います。