(町田 明広:歴史学者)
「日本植物目録」の草稿完成と改定依頼
今回の大発見となったシーボルト書簡・「日本植物目録」の学術的な詳細については、遠藤正治・鳥井裕美子・松田清(共著)「神田外語大学附属図書館所蔵 シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について」(神田外語大学日本研究所紀要8号、2016年、31~87頁)を参照いただくこととして、ここではその概要について触れておきたい。
1827年10月末から、シーボルトは50名以上いる弟子の中の1人、医師・伊藤圭介が尾張(名古屋)から長崎に持ち込んだ約1600種の植物標本に、伊藤とその兄弟子にあたる医師・賀来佐之の協力を得て、学名と和名を付して分類し、目録を作成する作業を出島で精力的に行った。その結果、早くも半年後には「日本植物目録」の草稿を完成させたのだ。
シーボルトが信頼していた2人の弟子に対し、自身が帰国前に慌てて作成を依頼していたのが「日本植物目録」であった。そして、今回のシーボルト直筆書簡の発見により、その改訂依頼を伊藤ではなく、賀来にしていることが判明し、まさに本書簡は賀来に宛てた催促状だったのだ。