関心薄い世代にも伝統の醍醐味広めた
しかしその代償は大きく、翌名古屋場所から7場所連続休場。結局優勝回数を重ねることなく平成15(2003)年初場所で引退した。
若貴の最大の功績は、それまであまり相撲に関心を示さなかった世代にまで、伝統スポーツの醍醐味を広めた点にあるだろう。両力士ともその卓越した相撲技術を後輩に伝え、相撲協会の発展に尽力してほしかったが、若乃花は始めから相撲協会に残る気があまりなかった。
貴乃花は一代年寄を許され、貴乃花親方として一門を離脱してまで理事に就任したが、そのことが協会内で様々なあつれきを生み紆余曲折の末、平成30(2018)年9月に非常に残念な形で相撲協会を退職してしまった。
貴乃花の愚直で一途な性格は力士としては長所だった。しかし周囲との協調が必要な親方としては、残念ながらあまりにも不器用な生き方だったと言わざるを得ない。