同年の春巡業では、若乃花におっつける時の形などが栃錦に似ていることを指摘すると、「実は栃錦のビデオを見てマネしたことがあるんです。そうしたら『そういう相撲はいけない』と親方に怒られた。ということは、栃錦の相撲はいけないのかな(笑)」と、ユーモアを交えながら“お兄ちゃんスマイル”で答えてくれた。

 平成10(1998)年夏場所後に、若乃花が最高位を極めたことで史上初の兄弟同時横綱が誕生した。

 しかし、この頃から異変が表面化する。

貴乃花と若乃花は昭和63(1988)年春場所に一緒に初土俵を踏み、互いに励まし合って出世の階段を登っていったのだか・・・

「一緒に君が代を歌いたいとは思わない」

 同場所千秋楽の貴乃花の表情は強張ったまま。兄のことを「若乃花」と呼び捨てにするなど、数場所前から貴乃花と若乃花の関係が何となくおかしいという声はあった。それでもさすがに兄の横綱昇進に関しては祝福のコメントが出ると思いきや、「兄弟でも目指すものが違い、譲れないものがある。一緒に君が代を歌いたいとは思わない」と厳しく兄を突き放す発言をした。

 若貴がともにともに横綱として初めて臨む同年名古屋場所は大変な注目が集まった。貴乃花は見事に復活を遂げ、初日から14連勝で優勝。それより報道陣を驚かせたのが支度部屋の貴乃花の対応ぶりだった。

 信頼している整体師から、思ったことはドンドン話したほうがいいとアドバイスされたようで、連日、笑顔でどんな質問にも丁寧に答えていた。

「横綱のリラックス法は?」と質問されると「ここでこうして皆さんとお話しすることですよ(笑)」とリップサービスまで飛び出した。相撲担当記者からは「本当の貴乃花は、あんなにおしゃべりだったんだ」という驚きの声も出たほどだった。

 貴乃花の思ったことは話す、という姿勢はさらにエスカレートしていった。